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【今日は何の日?】12月22日=隅田川最後の"渡し"の船頭さんが波に飲まれて死亡(1966年)/ 雑学ネタ帳
《画像はイメージです》
58年前の1966(昭和41)年。東京・隅田川に唯一残っていた"渡し"である「汐入の渡し」の船頭さんが、誤って足を滑らせ、冷たい川波へと転落。翌朝に遺体で発見されるという痛ましい事故が起きました。
隅田川にはかつて、この汐入の渡しのほかにも、小台、梶原、白髭などいくつもの渡しが存在し、庶民の足として機能していました。64(昭和39)年に佃の渡しが消えて以降は、この汐入の渡しが最後の渡しとなっていたのでした。
隅田川を挟み、荒川区南千住と足立区の千住曙町を往復していた汐入の渡しは1869(明治2)年に開設。地元民の貴重な足というだけでなく、千住曙町にある鐘淵紡績会社に勤務する人々の通勤用として重宝されていました。
船頭の森伯(もり・ひろし)さん(50歳)は、約10年前に義父から受け継ぐ形で3代目の船頭として活躍。森さんの渡し船は朝夕に小中高生、サラリーマン、昼間は買い物の主婦などを中心に、1日に約200人が利用。森さんは船着き場にお客さんの姿が見えると、いったん出した船を戻してでもお客さんを乗せてあげるなど、昔気質の人情家船頭として親しまれていました。
年の瀬も押し迫ったこの日の夕方5時40分ごろ、足立区千住曙町の船着き場から乗客2人を対岸の南千住へと渡し、お客さんを降ろそうとして船の艫綱(ともづな=船尾にあって船を陸に繋ぎとめる綱)を船着き場の杭に結ぼうと、舳先(へさき=船の前の方)で身を乗り出した時に、誤って足を滑らせ、川中に転落。水とともに生きる船頭さんですが、森さんは泳ぎが苦手だったのです。
警視庁南千住、水上の両警察署などからランチ(原動機付きの小型船)が出動。必死の捜索を試みましたが、夜10時30分すぎに捜索はいったん打ち切り。翌朝8時からの再捜索中に森さんの遺体が転落現場から約200m下流で発見されたのでした。
この悲しい事故をもって、汐入の渡しだけでなく、隅田川全体の"渡し"の歴史に終止符が打たれたのでした。汐入の渡しがあった付近には、40年後の2006(平成18)年に千住汐入大橋(写真)が開通しています。
参照 : 昭和41年12月23日付の読売新聞朝刊、夕刊
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介護のみらいラボ編集部コメント
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