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【今日は何の日?】12月28日=プロ野球・ロッテオリオンズが"ジプシー球団"に...(1972年)/ 雑学ネタ帳
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52年前の1972(昭和47)年。プロ野球、パ・リーグのロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ=当時は大沢啓二監督)が翌73年シーズンより、本拠地となる球場を持たない"ジプシー球団"として、全国各地を渡り歩くことが、この日に本決まりとなりました。
オリオンズは62(昭和37)年より、東京・南千住(荒川区)に完成した東京スタジアム(東京球場)を本拠地としてきましたが、同球場は72年をもって閉鎖が決定してしまいます。
「プロ野球の総意として東京球場を存続させてほしい」という、プロ野球・大浜信泉コミッショナーの発意により、セ・リーグの鈴木竜二会長、パ・リーグの岡野祐会長が、東京球場の小佐野賢治会長に面談を申し入れていましたが、この日になって「これ以上、賃貸についての話し合いは無駄になる」との電話連絡を受け、球場使用を断念。
大浜コミッショナーらは、あらためて小佐野会長に面談を申し入れ、年明けの1月6日に確約を取りつけたものの、その際にも「買収以外には応じないという社の方針は変わらない」と通告されてしまったため、正式に東京球場使用問題についての交渉を打ち切ることを決定しました。
セ・鈴木会長、パ・岡野会長は同日午後3時すぎ、東京・新橋のヤクルト本社にヤクルト球団の松園尚己オーナーを訪ね、東京球場が使用不可能となった経緯を説明しつつ、同球団が専用球場とする神宮球場をロッテ球団のために貸してほしいと申し入れます。
松園オーナーは「はっきりした試合数は神宮外苑部と話してみなければわからないが、20試合ぐらいはなんとかなる」と答え、両会長の申し入れを快諾。
その後、パ・岡野会長はロッテ球団の重光武雄社長に経過を報告し、重光社長はこの日の夜にも渡米するヤクルト・松園オーナーの帰国(1月4日)を待って、正式に球場使用を申し入れることになりました。
ロッテ球団では、すでに仙台の宮城県営球場に25試合、神奈川・川崎球場に10試合の借用承認を受けており、これに神宮の20試合を合わせて計55試合となり、ようやくホームゲームを消化できる見通しがついた格好となりました。
5年後の77(昭和52)年シーズン終了後、大洋ホエールズが川崎球場から、新設される横浜スタジアムへの移転が決定。これを受けて、ロッテが78年シーズンより空き家となった川崎球場を本拠地にすることが決定。5年間にも及ぶジプシー生活から、ようやく卒業できることになりました。
参照 : 昭和47年12月29日付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
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