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ニュース 今日は何の日?雑学 2025/10/09

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【今日は何の日?】10月9日=東京五輪開幕前日、生き別れた韓国と北朝鮮の父娘が14年ぶりに5分間の再会(1964年)/ 雑学ネタ帳

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 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

61年前の1964(昭和39)年東京オリンピック開幕の前日、朝鮮戦争(50~53年)によって生き別れとなっていた父と娘が14年ぶりに東京で再会するという出来事がありました。

背景は相当に複雑です。発端は62(昭和37)年にインドネシア・ジャカルタで開催されたアジア競技大会で、主催国のインドネシアでは中国との関係に配慮し、IOC(国際オリンピック委員会)加盟の台湾を招待せず、IOCから加盟資格停止を宣告されることに。

これを不服とするインドネシアでは、翌63(昭和38)年にオリンピックに対抗する大会として新興国競技大会(GANEFO)を開催。これに参加した北朝鮮選手団では、陸上女子400m辛金丹(シン・グムタン=26歳)選手が圧倒的な強さを発揮し金メダルを獲得しました。

ところが、この大会に参加したことを理由に北朝鮮は、IOCから五輪参加資格はく奪処分を下されてしまいます。

すでに東京五輪に参加するつもりで、金メダル候補の辛選手をはじめとする北朝鮮選手団は船便で来日し、新潟から東京に入っており、五輪参加資格の回復を訴えましたが、国際競技連盟はこれを認めず、10月8日夜、五輪組織委員会に対して五輪不参加を表明し、選手団を総引き揚げするという事態になったのです。のちにさまざまな国際情勢とともに頻発する五輪ボイコットの先駆けともなる事件でした。

辛選手には東京五輪で金メダルを獲得するだけでなく、もう一つの目的がありました。朝鮮戦争が勃発した当時、辛選手(当時12歳)の一家は両親と妹、弟と農業を営んでいましたが、戦争の動乱とともに一家は散り散りに...。その時、ちょうど現在の韓国側にいた父の辛文濬(シン・ムンジュン=48歳)さんのみが消息を断ち、母子は戦火で死んだものとあきらめていたそうです。

その後、韓国で生き延びていた父の辛文濬さんはソウル延安大学付属病院庶務係として勤務していたのでした。そんなある日、63(昭和38)年の新興国競技大会辛選手が金メダルを獲得したというニュースを新聞で発見。それが生き別れた娘と知り、名乗り出ることとなります。

やがてそのニュースが北朝鮮の辛選手の耳に入ったものの、「(父に)ひと目会いたいが、韓国には行けないから、東京オリンピックには何としても出場する。東京なら会えるはず」と秘かに東京での再会を待ち望んでいたのです。

父も娘との再会を目指し、知人らに付き添われ空路で東京に着いたのは10月8日の夜8時。その日の夜に北朝鮮選手団の総引き揚げというニュースを知ることとなります。組織委員会を訪れた父は「なんとか娘と会うのを斡旋してほしい」と頼み込みましたが、複雑な両国間の関係でラチはあきません。

まず場所でもめました。五輪組織委員会の部屋では北朝鮮側が応じず、なんとか朝鮮会館(千代田区富士見町)で対面できると決まったのが、この日の午後4時すぎになってから。同会館では帰り支度の北朝鮮選手団を見送る朝鮮総連の人たちでごった返し、選手たちがほとんどバスに乗り終わった時、父は組織委員会の警備交通部長、そして韓国オリンピック後援会の李祐天会長らに抱きかかえられ、転がるようにして辛選手の待つ門内へと入ったのです。

北朝鮮側の青年隊が人垣を作り報道陣はシャットアウト。しかし庭先でパチパチと拍手が鳴り響くなど、大勢の仲間たちに囲まれての父娘再会となった模様です。

新潟までの汽車の時間がないため、14年ぶりの父娘対面はわずかに5分程度。それぞれの手を握りつつ外に出てきた2人には報道陣が殺到してもみくちゃに。辛選手は目を真っ赤にしつつ何やら早口で叫びつつ、自分よりも背が低くなった父の手をしっかりと握りしめていたそうです。

再会を手引きし、その一部始終を見ていた韓国オリンピック後援会の李会長の話によると、父と娘が交わした言葉は「みんな元気か?「母も弟もみんな元気。お父さんも達者でね」「文通しようね」というぐらいで、かなりあわただしい対面だったとか。

そして迎えた東京五輪。辛選手が出場する予定だった陸上女子400mでは、オーストラリアのペディ・キューバード選手が金メダルを獲得。しかし、そのタイムは辛選手の世界記録には及ばないものだったそうです。

 参照 : 昭和39年10月10日付の毎日新聞朝刊

                           文 / 高木圭介

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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