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【今日は何の日?】4月15日=ヘレン・ケラー女史が初来日(1937年) / 雑学ネタ帳

千葉中央公園内にあるヘレンケラー像
85年前の1937(昭和12)年。視覚と聴覚に重度の障害を持ちつつ、世界各地を歴訪し、その生涯を障がい者教育や福祉の発展に尽くしたヘレン・ケラー女史が初来日しました。
横浜港に到着したケラー女史はこの時、56歳でした。かねて社会事業家の岩橋武夫さんの招聘で、来日が待たれていましたが、恩師であるサリヴァン先生が病床に伏していたこともあり、なかなか決心がつきませんでした。そのサリヴァン先生が10月に「日本に行っておあげなさい」と言い残して亡くなったことから、この来日が実現に至りました。
当時の新聞でも「奇蹟の聖母来る!」「聖女ケラー女史」などの見出しとともに大々的に報じられています。
しかし到着後に、さっそくアクシデント発生...。秘書のポリー・トンプソンさんとともに横浜港の待合室にいたところ、何者かによってカバンの中から赤皮の財布と大切な住所録を盗まれてしまいます。財布には日本円にして約250円が入っていたそうです。ところが、新聞でこのことが報じられると、たちまちケラー女史宛てに全国各地から支援の現金が送られてきました。その額は元の金額の約10倍にも達したそうです。
4月17日には日比谷公会堂にて「ヘレン・ケラー女史 市民歓迎会」が開催され、ケラー女史の挨拶の後、第2部では宮城道雄さんの箏、吉田晴風さんの尺八による『春の海』(いわゆるお正月定番のアレです)が演奏されたり、東京聾唖学校生徒による唱歌、リズムダンス、吹奏楽や、東京聾話学校生徒によるリトミックなどが披露されました。
8月10日に横浜港から帰国したケラー女史は、戦後になっても48(昭和23)年、55(昭和30)年と、計3度にわたり来日。初めて日本の土を踏むと同時に泥棒被害には遭ってしまいましたが、日本を気に入ってくれていた様子ですね。
参照:昭和12年4月16付の朝日新聞朝刊
文 / 高木圭介
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介護のみらいラボ編集部コメント
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