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【今日は何の日?】9月4日=ヴィクトル・スタルヒンが日本プロ野球史上初の300勝投手に(1955年) / 雑学ネタ帳

スタルヒン球場とスタルヒン像(北海道旭川市)
67年前の1955(昭和30)年。京都の西京極球場にて行われたプロ野球「トンボユニオンズvs大映スターズ」で、トンボのヴィクトル・スタルヒン投手が日本プロ野球史上初の300勝投手となりました。
スタルヒン投手は1916年、帝政時代のロシア生まれ。ロシア革命で一家が迫害を受け、25年に日本へと亡命してきた無国籍者でした。36年に東京巨人軍(現在の読売ジャイアンツ)に入団するも、39年に日ソ関係の悪化によりスパイ容疑をかけられ、「水道橋駅から後楽園球場へ向かう際に、橋の上から神田川をのぞき見ることを禁止(神田川で軍需物質を運搬していたため)」「試合中、外野スタンドに立てられた旗を見ることを禁止(当時、風向きや天候に関する情報は軍事機密扱いとされたため)」など、信じられない制約を与えられていました。
無国籍だったため徴兵されることはありませんでしたが、40年には「須田博」と改名を余儀なくされています。
ロシア革命から始まり、太平洋戦争に翻弄された苦難の野球生活でしたが、191cm90kgの巨体から投げおろす速球は黎明期のプロ野球界において脅威の存在でした。巨人時代の39年11月に100勝、パシフィック(太陽ロビンス)時代の46年10月に200勝、そして最後の所属球団となったトンボユニオンズ時代に、ついに日本プロ野球初の300勝を挙げ、シーズン終了後に引退。19年間にわたる波乱のプロ生活を終えたのでした。
当時は勝利投手の認定が曖昧な時代だったため、のちに39年シーズンの成績が見直された結果、同年7月30日に川崎球場で行われた近鉄パールス戦で、すでに300勝を挙げていたことに変更されています。
スタルヒン投手は引退から1年後の57年1月、現在の国道246号(玉川通り)を運転中に世田谷区三宿付近で東急玉川線の二子玉川園行電車と激突して交通事故死。まだ40歳の若さでした。
文 / 高木圭介
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