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【今日は何の日?】2月22日=巨人軍・金田正一投手が台中キャンプで右足負傷 (1968年) / 雑学ネタ帳
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55年前の1968(昭和43)年。プロ野球の読売ジャイアンツは2月10~24日の日程で台湾・台中にてキャンプを実施。この日、省立体育専科学校の球場でのシートバッティング練習の最中、黒江透修(くろえ・ゆきのぶ)選手が打ったボールがバッティングピッチャーを務めていた金田正一投手の右足ケイ骨を直撃。負傷した金田投手は台中キャンプを打ち切り、翌23日には単身帰国することになりました。
台中市内の総合病院でレントゲン検査を受けた金田投手は、骨折こそしていませんでしたが、腫れがひどく練習継続は無理と判断されたものです。
カネやんこと金田投手は「大したことない。24、25日と休養し、宮崎キャンプでは初日から、またバリバリとやったるで」の言葉を残し、23日夜に帰国。
台中キャンプは前半が初夏、後半は梅雨という変化の激しい気候で、夜になると決まって降りだす雨によって、もともと粘土質のグラウンドの土が、さらに重たくなり、選手の肉体に負担を与えていたと伝えられています。ベテラン・金田投手のケガも、足の疲労蓄積が原因と推測されます。
この金田投手負傷の報は、当時の新聞でも報じられましたが、あくまでベタ記事。よくあるキャンプ中の選手のケガというトピックに過ぎません。ただし、この負傷が後に日本の漫画、アニメ界に多大な影響を与えることになるのです。
というのも、現実世界のプロ球界の出来事から約1年遅れで進行していた漫画『巨人の星』(梶原一騎作、川崎のぼる画=週刊少年マガジン連載)でも、この台中キャンプでの出来事が詳細に記されています。この台中キャンプ中、主人公の星飛雄馬は大先輩である金田投手に、変化球指南を願い出ますが、「どあほ」と一喝されたうえ、カーブでもシュートでもない独自の変化球を作ってみろと喝を入れられます。
その翌日に、金田投手は負傷。金田投手に代わって紅白戦のマウンドに立った飛雄馬でしたが、ナインの練習時間を気づかってマウンドを降りる金田投手の姿に感動の涙が止まらず、いつもの「針の穴も通す」コントロールが乱れまくり、ビーンボールさながらの投球で打者を危険にさらしてしまいます。紅白戦後には帰国する金田投手を、飛雄馬が駅まで見送りに行くシーンまで描写されています。
そして、この台中での金田投手との交流をきっかけに飛雄馬は「球質が軽い」という弱点を逆利用した大リーグボール1号開発への大きなヒントをつかむというストーリーへと昇華したのでした。
のちに、さまざまな漫画やアニメのモチーフともなった、この大リーグボール開発エピソードの原点は、金田投手負傷という史実に基づかれていたのです。現実の出来事と劇画ストーリーの豪快なリンク、そしてシンクロこそは、まさに「梶原一騎マジック」の真骨頂といえるものでしょう。
アニメ版でも翌69(昭和44)年6月から7月にかけて、このエピソードが放送され、その後、幾度となく再放送が繰り返されたため、世代を超えて多くの人の記憶に刻まれたのでした。
参照 : 昭和43年2月24日、25日付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
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