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【今日は何の日?】5月17日=白覆面の魔王、ザ・デストロイヤーが日本初登場(1963年) / 雑学ネタ帳
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ちょうど60年前の1963(昭和38)年。長年にわたって日本のファンに親しまれたプロレスラー、"白覆面の魔王"ことザ・デストロイヤーが初来日しました。
午後5時、パン・アメリカン(パンナム)航空1便で羽田空港に降り立ったデストロイヤーは、空港での記者会見で代名詞となる足4の字固め(フィギュア・フォー・レッグロック)を初披露すると、千駄ヶ谷の東京体育館へと直行。第五回ワールドリーグ戦の優勝決定戦「力道山vsキラー・コワルスキー」の試合前にリングに登場し、両選手に花束を贈呈します。
その際に"殺人狂"と異名されたコワルスキーが握手を拒否したために、デストロイヤーが平手打ちを見舞ったのです。ダボダボなグレーのスーツに濃紺のネクタイ、白覆面という怪しい姿と、大物レスラー・コワルスキーに対する平手打ちという行為は日本テレビの生中継で全国放送され、視聴者に強烈なインパクトを与えることになります。
その宣伝効果は大きく、翌週(5月24日)に同じく東京体育館から中継された「デストロイヤーvs力道山」は国内テレビ視聴率において当時最高となる64.0%という数字を叩きだします。その数字は現在もなお日本の高視聴率ランキングにおいて4位の座をキープしています。
強烈なインパクトと空前のテレビ視聴率、そして昭和40~50年代の男の子ならば、誰もがかけたことも、かけられたこともある「足4の字固め」とともに大スターなったデストロイヤーは7か月後(63年12月)に力道山さんが急死して以降も、豊登さん、ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さんと、タイプもサイズも異なる歴代エース選手のライバルとして活躍し続けました。
ライバルであり友人でもあった馬場さんが72(昭和47)年に全日本プロレスを旗揚げすると、手薄だった日本陣営の助っ人として参加することとなり、家族とともに日本に移住。そこでもミル・マスカラスやアブドーラ・ザ・ブッチャーといった外国人選手と好勝負を繰り広げ、外国人スター選手の売り出しにも一役買いました。
またタレントとしても活躍し、『金曜10時!うわさのチャンネル』にレギュラー出演。共演していた和田アキ子さんに服従し、ハリセンで殴られたりするなど、プロレスラーよりも強いと噂される和田さんの「ゴッド姉ちゃん」というキャラクター周知にも貢献しました。
79年に帰国、93年に日本で引退試合を行った以降も大の親日家であり続けたデストロイヤーは、2019年に88歳で亡くなっています。
意外と知られていませんが、正式なリングネームは「ジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤー」です。
文 / 高木圭介
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