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【今日は何の日?】10月21日=アラカンこと嵐寛寿郎が死去(1980年)/ 雑学ネタ帳

《画像はイメージです》
43年前の1980(昭和55)年。「アラカン」の愛称で親しまれるとともに『鞍馬天狗』や『むっつり右門』などのハマり役で一世を風靡した映画スター・嵐寛寿郎さんが午後7時5分、心不全のため京都市西京区の自宅で死去しました。享年76。
1902(明治35)年に京都市木屋町で生まれたアラカンさんは、根っからの芝居好きが高じ、1920(大正9)年から上方青年歌舞伎の俳優となり、7年後の1927(昭和2)年3月に「日本映画の父」ことマキノ省三監督に見出され、周囲の大反対を押し切ってマキノ映画へと入社。同年中にはマキノ監督による『鞍馬天狗異聞 角兵衛獅子』にて映画デビューを果たします。
鞍馬天狗のシンボル、三角の黒覆面姿は面長だったアラカンさんにピッタリとハマり、「鞍馬天狗のアラカン」として一躍、大スタアとなり、同シリーズは以降、約60本も銀幕を飾り続けることとなりました。
その他にも「右門捕物帳シリーズ」で、あまり喋らずに長いアゴを手でさすりつつ考え込むスタイルの「むっつり右門」が大受けし、こちらも40本近くが製作されています。新東宝映画では明治天皇を演じたり、晩年はヤクザの組同士が野球で決着をつける異色の映画『ダイナマイトどんどん』(78年)で、フゴフゴとまともに喋れない岡源組の老組長を演じたりと、幅広い役柄で往年の映画ファンを喜ばせました。
かと思えば、『刑事くん』(71年)や『変身忍者嵐』(72年)といった子ども向けのテレビ映画にも突如、ゲスト出演することもあり、映画界の大御所でありつつ、鞍馬天狗同様の神出鬼没な出演も大きな話題となっていました。
参照 : 昭和55年10月22日付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
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介護のみらいラボ編集部コメント
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