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【今日は何の日?】1月9日=20歳の新小結・保志が横綱・北の湖から殊勲の初白星(1984年)/ 雑学ネタ帳
《画像はイメージです》
ちょうど40年前の1984(昭和59)年。大相撲初場所(東京・蔵前国技館)の2日目。横綱・北の湖(当時30歳)と初顔合わせとなった20歳の新小結・保志(のちの第61代横綱・北勝海、現・日本相撲協会理事長)が寄り切って初勝利を挙げました。
立ち合い、北の湖は左指しを狙いましたが、保志の当たりが強く、それをあきらめて右ノド輪で押し込みます。保志は後退しつつも左から巧みにいなしては左へとに回り込み、なおも出てくる北の湖を左から突き落としては泳がせ、左手で上手を引いて北の湖の後ろに回り、一気に寄り切ったのでした。
大横綱から見事な逆転勝利を飾った保志は「うまく回り込めた。(勝った瞬間)やった、と思った」と笑顔。
この時、横綱在位10年となる北の湖はすでに下降気味であり、翌年1月には引退することになります。小学生時代、すでに九重部屋からスカウトを受けていた保志は、中学1年生の夏(76年)、見学に訪れた札幌巡業の支度部屋にて、チラリと北の湖と目が合ってしまい「おっかなかった。(北の湖と)やることなんて想像もできなかった」と回想しています。
また前年(83年)末に出羽一門の連合稽古に参加した際、保志は北の湖の胸を借りたのですが、「5、6番やったが重かった」「本場所でも勝てるとは思わなかった」と語るほど、北の湖は高い壁だったのです。
保志は後に「花のサンパチ組(人気力士の多かった昭和38年生まれの力士たちを呼ぶ愛称)」と呼ばれる、北尾(のちの横綱・双羽黒)、小錦(のち大関)、寺尾(のち関脇)、琴ヶ梅(のち関脇)、孝乃富士(のち小結=プロレスラー・安田忠夫)らの中でも一番出世で三役へと昇進。北尾と小錦はこの場所、まだ十両で、他の面々もまだ幕下力士でした。
そんな中、新世代の保志が大横綱であり、かつて「花のニッパチ組(昭和28年生まれの力士たちの愛称)」と呼ばれた代表格である北の湖に土をつけたことは、強く世代交代を印象づけたのでした。
そんな保志は大関昇進を機に「北勝海(ほくとうみ)」と改名。87年には第61代横綱となります。92(平成4)年に引退後は、八角親方となり、八角部屋を立ち上げます。2015年11月に日本相撲協会の理事長職にあった北の湖の死去後、第13代の理事長に就任しています。
参照 : 昭和59年1月10日付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
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