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【今日は何の日?】5月28日=女性判事の第1号・三淵嘉子さんが死去~NHK朝ドラ『虎に翼』のモデル(1984年)/ 雑学ネタ帳

《画像はイメージです》
ちょうど40年前の1984(昭和59)年。日本初の女性判事として知られ、現在、NHKで放送中の連続テレビ小説『虎に翼』のモデルでもある三淵嘉子(みぶち・よしこ)さんが夜8時16分、骨がんのため国立医療センター(東京・新宿区戸山)で死去。69歳の生涯でした。
1914(大正3)年にシンガポールで生まれた三淵さんは、32(昭和7)年4月に4期生として明治大学専門部女子部法科に入学。その後、明治大学法学部へと編入し、38(昭和13)年に卒業。同年11月に司法科試験に合格し、弁護士を経て戦後の52(昭和27)年12月に女性判事の第1号となりました。
72(昭和47)年6月に女性として初の所長として新潟家裁所長に就任。以降も浦和(埼玉県)、横浜(神奈川県)の各家裁所長を歴任。79(昭和54)年に定年退官した後も、東京都人事委員会委員などを務めていました。
私生活では41(昭和16)年に、実家の元書生だった和田芳夫さんと結婚。43(昭和18)年には長男が誕生しましたが、44(昭和49)年に出征した芳夫さんが、終戦後の46(昭和21)年5月、上海からの引揚途中に長崎で病死。未亡人となった三淵さんは日本国憲法にて男女平等となったことを受けて、47(昭和22)年3月に裁判官採用願を司法省に提出することとなりました。
41歳となった56(昭和31)年には、妻が病死して1男3女を抱えていた三淵乾太郎さん(当時49歳=最高裁調査官)と再婚。裁判官の夫婦誕生として話題となりました。
6月23日に青山葬儀所にて行われた葬儀、告別式には2,000人近い人々が訪れ、まだ性差によって、女性の仕事が限られていた時代に、パイオニアとしてさまざまな道を切り開いてきた三淵さんとの別れを惜しんだそうです。
参照 : 昭和59年5月29日付の読売新聞夕刊
明治大学ホームページ
文 / 高木圭介
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介護のみらいラボ編集部コメント
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