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【今日は何の日?】6月22日=作家・有吉佐和子が「笑っていいとも!」をジャック(1984年)/ 雑学ネタ帳

《画像はイメージです》
ちょうど40年前の1984(昭和59)年。正午からの人気バラエティ番組『笑っていいとも!』(フジテレビ)にゲスト出演した作家・有吉佐和子さん(当時53歳)が、司会のタモリさん(当時38歳)に促されても、そのまま番組に居座り、番組をジャックしてしまう"事件"が起きました。
この日は金曜日。前日に出演した俳優・有島一郎さんからの指名で番組冒頭の「テレフォンショッキング」のコーナーに出演した有吉さんでしたが、進行をまるで無視するかのような傍若無人ぶりを発揮。翌週月曜のゲストに同じく作家の橋本治さんを指名し、タモリさんが毎度書くことがお約束となっていた妖しげな伝言メモを「何ですかコレは!」とビリビリに破いてしまったり、持参したラジカセにて早稲田大学の応援歌を客席も一緒になって歌わせたりと自由奔放ぶりを発揮。観客席の女性客による「エーッ」という大合唱もガン無視です。
タモリさんが何度かコーナーの終了を告げるも、そのまま居座り、ついには後にコーナー出演を控える明石家さんまさん(当時28歳)が飛び出してきて「帰ってよ!」と言い放ち、有吉さんがようやく退場したのは番組も終盤の12時42分のことでした。
有吉さんの番組ジャックに対し、フジテレビには抗議の電話が殺到したそうですが、実はこれらは「番組上の演出」だったとか。番組スタート(82年10月)から1年8か月が過ぎ、視聴者も制作側も番組に慣れてきた時期に起きたハプニングでした。そのため生放送ならではの予測不能な魅力に、あらためて気がつかせる効果があった模様です。
実は数か月前に、同じくゲストで登場した黒柳徹子さんも同様の番組ジャック事件を起こしています。フジテレビでは10月から『笑っていいとも!』に続く午後1時から、同じく新宿スタジオアルタにて収録される新番組『ライオンのいただきます』の準備に入っていた時期です。
この番組は司会者(小堺一機さん)でも制御不能な「おばさまたち」のトークをメインとしており、~いいとも!における黒柳徹子さんや有吉佐和子さんの暴走ぶりと反響こそを下敷きにしたような感じでした。
黒柳徹子さんは同時間帯に『徹子の部屋』(テレビ朝日=当時は午後1時15~55分)が放送されているため出演は不可能として、視聴者に強烈なインパクトを残した有吉さんを出演させるプランがあったことは充分に考えられます。
ところが有吉さんは、ほぼ2か月後の8月30日に急性心不全のため死去。世間的には『笑っていいとも!』を番組ジャックする姿こそが、最期の姿となってしまいました。視聴者をハラハラと楽しませてくれた番組ジャック事件の「続き」が見られぬままの早世が、今さらながら悔やまれます。
参照 : 昭和59年6月30日付の読売新聞夕刊
文 / 高木圭介
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