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【今日は何の日?】9月14日=東京・日比谷公園のハトが宮崎県に移住(1964年)/ 雑学ネタ帳
《画像はイメージです》
ちょうど60年前の1964(昭和39)年。日比谷公園(東京都千代田区)に古くから住み着いているハトたちの一部、約300羽を捕獲しては、宮崎県へと移住させるというプロジェクトがこの日からスタートしました。
ハトたちは終戦直後、食糧難の時代に安全な憩いの場所であり、残飯にもありつける場所として日比谷公園に住み着き、どんどん数を増やし続けました。公園事務所の話によりますと、周辺に何社もある新聞社で飼われていた伝書鳩(※1960年代まで多くの新聞社が原稿や撮影フイルムを送る手段として伝書鳩を利用していました)が野性化したものも多かったそうです。
ハトたちは日比谷公園に住み着きつつも、ねぐらは皇居の石垣や森林、近隣のビル屋上など。日本が豊かになり、公園が整備されていくに従って入園者も増え、エサをくれる人も増え、公園はハトたちにとって絶好の食堂となります。朝と昼には群れをなしてやってきて、エサを食べたり遊んだり、お腹がふくれると園内のペリカン噴水池で水浴びをしたりして、夕方になるとねぐらへと帰っていく生活です。そんな快適な日々とともに、ハトの数は2,000羽以上となり、その繁栄ぶりが徐々に日比谷公園にとって、悩みのタネとなっていたのでした。
というのも、ハトたちは花壇や芝生の新芽を遠慮なく食べてしまうため、マツバボタンは花が咲く前に枯れてしまったり、整備された芝生もフンだらけという始末です。
公園事務所が、そんなハト害に頭を悩ませていたところ、8月末に全国知事会のために上京していた黒木博・宮崎県知事が、このハトの群れを見て「ぜひ、分けてほしい」と願い出たのです。渡りに船です。
宮崎県立の平和台公園には、平和の象徴たるハトが1羽もいないとかで、黒木知事は「それでは、まずは300羽ほど」と、日比谷公園のハト300羽を宮崎へと移住させることに。
農林大臣の許可を得てのハト捕獲作戦は午前9時30分にスタート。1m角の特製餌付け箱を5個、花壇に配置し、中には大好物の麻の実、トウモロコシなどを入れて誘いましたが、ハトたちは警戒しては箱の上をグルグルと舞うだけで、なかなか中へとは入りません...。
午前中に18羽が捕獲され、とりあえずこのハトたちが「移住第1陣」として、翌日(9月15日)午後2時35分に東京駅を出発した急行高千穂に乗せられて、一路、宮崎へと向かったのでした。移住ハトの捕獲作戦は9月19日まで続けられたそうです。
参照 : 昭和39年9月14日付の毎日新聞夕刊
文 / 高木圭介
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