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【今日は何の日?】10月12日=国鉄の金田正一投手が沢村栄治投手のシーズン奪三振記録を破る・後楽園(1955年)/ 雑学ネタ帳

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69年前の1955(昭和30)年。この日の昼、後楽園球場で行われたプロ野球のセ・リーグ公式戦、国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)vs 中日ドラゴンズの試合で、国鉄の金田正一投手(当時22歳)が中日から10三振を奪い、シーズンの340奪三振という新記録を樹立しました。
それまで、同記録は読売巨人軍の沢村栄治投手が戦前期の37(昭和12)年に樹立した「335」が最高記録でしたが、金田投手が18年ぶりに5つも記録を塗り替えることとなりました。
沢村超えの新記録「336」は、5回に同じく投手である中日・大矢根博臣選手から奪ったこの日、6つ目の三振にて達成。なお、金田投手の記録は6年後の61(昭和36)年に西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)の稲尾和久投手が「353」と塗り替え、その稲尾投手の記録は70(昭和45)年に阪神タイガースの江夏豊投手が「401」と大幅に塗り替え、現在もなお同記録では、この3投手がトップ3に君臨しています。
快挙達成に金田投手は「今日はやってやろうと思って投げた。沢村さんの記録を更新した時、ちょっと気抜けした。まさかこんなに三振を取れるは思わなかった。目標は三振3,000本だ。来シーズンは打たせて取る投法をしたいと思っているから、もう自分ではこの記録を更新できないと思う」と語っていたそうです。
この言葉通り、金田投手は69(昭和44)年の引退まで、通算19年のプロ生活で、計4,490もの奪三振を記録。これは現在も日本プロ野球の最高記録となっています。
当時は現在とは違い、先発・リリーフ、クローザーなど投手の分業制が確立していませんでした。この年、金田投手は国鉄のシーズン全130試合中、62試合に登板。そのうち37試合は先発し、34試合で完投という、現在では到底考えられない登板頻度で奮闘していたことになります。
参照 : 昭和30年10月13日付の毎日新聞朝刊
文 / 高木圭介
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