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【今日は何の日?】4月16日=有楽町駅前「すし屋横丁」の取り壊し始まる(1967年)/ 雑学ネタ帳

《画像はイメージです》
58年前の1967(昭和42)年。国鉄有楽町駅前の通称 すし屋横丁(有楽街商業協同組合=竹田新太郎理事長)の取り壊しが午前8時からスタートしました。
すし屋横丁があった場所は現在のJR有楽町駅中央口と東京交通会館(1965年築)の間にある広場や道路の一帯(写真)。江戸時代には大岡越前でおなじみ、南町奉行所があった場所ですが、終戦後に急速に都市整備が進められる中、老朽化した東京都交通局の建物のみが残り、その周囲に闇市から発展したバラックの立ち飲み屋、すし屋などが密集していたのです。
すぐそばには娯楽の殿堂・日劇(日本劇場=現在の有楽町マリオン)があり、日本を代表する繁華街・銀座への表玄関となる場所柄、行政側としても早急に都市整備を進めたい場所でした。東京都では60(昭和35)年から立ち退きを求めて交渉を進めていましたが、土地の権利関係の複雑さなど、さまざまな問題で整備は遅れ、東海道新幹線の開通や東京オリンピック開催(ともに64年10月)にも間に合わず、東京交通会館の開業も翌65(昭和40)となってしまいました。
このたび、平均にして約1,000万円の補償金で話し合いがつき、ようやく工事が始まることとなり、大きなニュースに。TBSテレビでは朝の番組でその模様を中継したほどです。
5月15日までに99店の取り壊しを終わらせ、跡地となる1,800平方mは広場と道路に生まれ変わる計画。この地でカストリ焼酎が愛飲されていた時代以来、戦後20年余の哀歓が込められた柱が倒されていくたびに、店主たちは「感無量です...」としんみりしていたとか。
参照 : 昭和42年4月16日付の読売新聞夕刊
文 / 高木圭介
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介護のみらいラボ編集部コメント
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