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ニュース 今日は何の日?雑学 2022/03/27

【今日は何の日?】3月27日=地球は青かった~ソ連のガガーリン少佐が34歳で事故死(1968年)/雑学ネタ帳

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《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

54年前の1968(昭和43)年。ソビエト連邦ウラジーミル州西部のキルジャチ付近(現在のロシア連邦)をミグ15で訓練飛行中だったユーリイ・ガガーリン少佐が墜落事故によって死去したことがモスクワ放送経由で伝えられました。まだ34歳の若さでした。

ガガーリン少佐は61年4月12日、ソ連第1号の人間搭乗型の宇宙船「ボストーク1号」に単身搭乗し、人類初の有人宇宙飛行に成功。宇宙空間から地球を見て述べた言葉「地球は青かった」は世界的な流行語となりました。

地球へ帰還後、ソ連内のみならず世界中の英雄となり、世界各国から招聘要望が相次ぎ、62年5月には日本にも訪問。この当時、海外では国家最高権力者のフルシチョフ書記長をも凌ぐ知名度を誇り、「日本で最も有名なソ連人」だったと思われます。同時に20数年後に大人気となるシャア少佐(by機動戦士ガンダム)が登場するまで、「日本で最も有名な少佐」だったとも言えるでしょう。

ガガーリン少佐の身長は158㎝当時のロシア系男性としては、かなり小柄であり、それこそが狭いボストーク号への搭乗者に選ばれた理由とも伝えられる。

34歳の若さで事故死したガガーリン少佐は1934年生まれ。日本でいうなら昭和9年生まれ。仮に日本人だったとしたら、愛川欽也や長門裕之、大橋巨泉らに強引に誘われ、石原裕次郎や宝田明、牧伸二、ケーシー高峰、財津一郎らとともに「昭和九年会」に入れられていたかも知れません。

参照 : 昭和43年3月28日付の読売新聞夕刊     

文 / 高木圭介

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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