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ニュース 今日は何の日?雑学 2022/03/31

【今日は何の日?】3月31日=新宿・淀橋浄水場が廃止(1965年)/雑学ネタ帳

03月31日(1970年撮影の淀橋浄水場跡地=現在の都庁あたり).jpg

1970年頃、現在の都庁付近

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

57年前の1965(昭和40)年。東京・新宿西口一帯に広がっていた淀橋浄水場が廃止。通水ポンプが停止されました。

現在の新宿副都心。高層ビル群に囲まれたこの場所に浄水場があったこと自体が、にわかには信じ難いほど風景が変化していますが、広大な浄水場跡地だったからこそ、大規模な副都心計画が実行できたとも言えます。

もともとは1898(明治31)年に玉川上水を水源とする浄水施設として建設。この時代、まだ新宿駅から西側は東京の郊外に過ぎませんでした。ところが関東大震災(1923年)以降、新宿駅から西側、武蔵野方面にかけて移住する人々が一気に増加。この時点で浄水場の移転案も浮上していたものの、戦争が相次ぐなどの影響で先延ばしとなっていました。

終戦から15年が過ぎた60年。さらに郊外に東村山浄水場が完成。浄水場機能の多くが東村山市へと移されたことで、いよいよ移転案が本格的に動き出し、淀橋浄水場は67年の歴史に終止符を打つことになりました。

跡地には副都心計画とともに71年完成の京王プラザホテルをはじめ、続々と高層ビルが建設。91年には東京都庁も移転開庁し、文字通り東京の中心となりました。新宿副都心の敷地内には、浄水場時代の遺構がモニュメントとして数多く残されていますが、あの一帯の不思議な高低差こそが、広大な浄水池を有していた浄水場の名残りでしょう。

淀橋」の名称は地名としても姿を消しましたが、「♪新宿西口駅の前~」のCMソングでおなじみのヨドバシカメラの店名、新宿区立淀橋第四小学校、東京都中央卸売市場淀橋市場の名前としてその名が残されています。

  

文 / 高木圭介

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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