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ニュース 今日は何の日?雑学 2022/04/01

【今日は何の日?】4月1日=小田急小田原線が全線一挙に開通(1927年) / 雑学ネタ帳

小田急電鉄(多摩川).jpg

 多摩川を渡る小田急線

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

95年前の1927(昭和2)年、新宿駅から小田原駅を結ぶ小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)の新宿~小田原間全線が一挙に開通しました。

昭和初期のこと。現在では想像がしづらいのですが、新宿駅を出発した電車が多摩川を渡る前、世田谷区内の時点ですでに沿線は郊外の田園風景が広がっていたそうです。

開通当初は稲田登戸駅(現・向ヶ丘遊園駅)から先は単線での運行。半年後の同年10月になってから複線化され、ようやく社名の通り、急行電車が走ることになったそうです。

現在では、ごく普通に「小田急(おだきゅう)」と呼ばれていますが、これは小田原急行を略しての通称。この通称を一気に拡散させたのが、2年後(1929年)に発売され、大流行した「♪ 昔恋しい 銀座の柳~」の歌詞で知られる『東京行進曲』(作詞・西條八十、作曲・中山晋平、歌・佐藤千夜子)の存在でした。この流行歌の4番に「♪ いっそ小田急で逃げましょか~」と男女の駆け落ちを匂わせる歌詞があったことで、全国区に「小田急」なる略称が広まり、小田原急行自体も1941年に小田急電鉄と社名を変更するに至ったのだそうです。

戦後、沿線の宅地開発や都市化の波はすさまじく、新しく駅ができたり、駅名が改称されることも珍しくありませんでした。今や主要駅である新百合ヶ丘駅ができたのは74年、国鉄(現JR東日本)横浜線との乗り換えアクセスが悪いことで有名だった新原町田駅が町田駅となったのは76年87年まで東海大学前駅は大根(おおね)駅で、秦野駅は大秦野駅という名称だったので、年配の皆さんにはそちらの旧駅名のほうがなじみ深いかも知れません。

                    文 / 高木圭介

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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