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【今日は何の日?】4月2日=プロボクシング全日本フライ級王者・斎藤清作(たこ八郎)が王座転落 → 引退 (1964年) / 雑学ネタ帳

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58年前の1964(昭和39)年。東京・後楽園ジム(現在の後楽園ホール)で行われたプロボクシングの全日本フライ級タイトルマッチ(10回戦)にて、王者・斎藤清作選手(笹崎ジム)が、挑戦者の飯田健一選手(三鷹ジム)に判定で敗れて王座転落。同時に現役を引退し、4年間の現役生活に終止符を打ちました。
引退した斎藤選手は、翌日には同郷(宮城県)の人気コメディアン・由利徹さんに弟子入りし、コメディアン修行に励むことになります。やがては、たこ八郎(太古八郎、タコ八郎名義もあり)と名乗り、劇場や映画、テレビドラマなどで強烈な個性を発揮し、お茶の間の人気者となりました。
たこさんは少年時代に事故で左目の視力がほぼ失われる不幸に見舞われました。普通ならば視力こそが生命線となるプロボクサーを目指すどころか、ライセンス取得も不可能です。ところが、たこさんは視力表を丸暗記するという荒業でプロテストに合格。60年にプロボクサーとしてデビューしたのです。
独特なヘアスタイルから「カッパの清作」というニックネームで呼ばれ、62年には第13代全日本フライ級王者に。得意としたノーガード戦法は、のちに「あしたのジョー」のモデルとなったとも伝えられますが、これがパンチドランカー症状の原因ともなってしまいます。ちなみにたこさんが所属した笹崎ジム(東急東横線の学芸大学駅そば)には、同年に同階級で世界チャンピオンとなったファイティング原田さんも所属。2人はジムの同期生でもありました。
そんなたこさんでしたが、85年7月24日の午前中、遊びに行った神奈川県真鶴町の海水浴場で飲酒した状態で泳いでいたところ溺死。44歳でした。たこさんの訃報はその日の正午から放送の、『笑っていいとも!』(フジテレビ)本番中、親交の深かったタモリさんの口から視聴者に伝えられ、日本中に大きなショックを与えました。
文 / 高木圭介
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介護のみらいラボ編集部コメント
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