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ニュース 今日は何の日?雑学 2022/04/10

#プロ野球#今日は何の日?#小林繁投手#読売ジャイアンツ#阪神タイガース

【今日は何の日?】4月10日=阪神タイガースに移籍の小林繁投手が巨人戦で初登板&初勝利(1979年) / 雑学ネタ帳

兵庫・阪神甲子園球場.jpg

 阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

43年前の1979(昭和54)年。2月に読売ジャイアンツから阪神タイガースへとトレードされた小林繁投手が、この日に甲子園球場で行われた「阪神vs巨人」にて、阪神の選手として初登板。闘志全開の投球で初勝利を飾りました。

小林投手は、巨人入団を希望する江川卓投手をめぐる球界全体のゴタゴタ、いわゆる「江川事件」の"着地点"を作るための犠牲とってしまいました。ドラフトにおける交渉権獲得で、江川投手をいったん阪神へと入団させ、巨人の小林投手とトレードする形で、江川投手の巨人入団がかなえられる形となったのです。

球界ルールの盲点を突くかのような出来事は社会問題まで発展し、小林投手は「悲劇のヒーロー」、プロ入団したばかりの江川投手には悪役のようなイメージがつきまといました。しかし、すべてを話題へと昇華させてしまうのがプロスポーツの鉄則です。以降、巨人戦で小林投手が投げる日、阪神戦で江川投手が投げる日は「遺恨カード」として大いに世間の注目を集めることになったのです。

背番号は巨人時代と同じく「19」。阪神のユニフォームを着てマウンドに立ち、2か月前までの仲間たちを迎え撃った小林投手は、かなり安打を浴び、3失点したものの、ホームランは張本勲選手に浴びた一発のみで抑えます。対する阪神打線はラインバック選手中村勝広選手がともに左翼ラッキーゾーンにホームランを放って4点獲得。味方打線の援護もあり、8回まで投げ抜いた小林投手は見事に勝利を飾りました。

5回一死満塁の場面で、巨人の長嶋茂雄監督が新外国人選手のリック・クルーガー投手を初投入しましたが、クルーガー投手の背番号が2か月前まで小林投手が着用していた「19」だったことも、因縁カードに、さらに火をつける格好となりました。

小林投手はこの年、巨人戦でなんと8連勝。6月には月間MVPを受賞し、シーズンが終わってみれば、沢村賞ベストナイン最優秀投手賞などを総ナメする形となりました。

小林投手は1983(昭和58)年に引退。その後はコーチや解説者、タレントしても活躍。2007(平成19)年には因縁の江川投手と初共演して黄桜のCMに出演したことも大きな話題となりましたが、日本ハムの一軍投手コーチを務めていた2010(平成22)年1月、突然の心筋梗塞による心不全のため急死。まだ57歳の若さでした。
 
 
 参照:昭和54年4月11日付の読売新聞朝刊

 文 / 高木圭介

                                

 

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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