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【今日は何の日?】5月3日=古葉竹識コーチの広島東洋カープ監督就任が決定 (1975年) / 雑学ネタ帳

2009年3月まで広島カープの本拠地として使用されていた広島市民球場外観
47年前の1975(昭和50)年。プロ野球のセントラル・リーグ、広島東洋カープの古葉竹識(こば・たけし)コーチの監督就任が、同球団の重松良典代表から発表されました。
ちょうど連休中のため公示手続きは5月6日に実施されたため、古葉コーチの正式な監督は就任は5月7日の大洋ホエールズ戦(川崎球場)から。それまでは監督代行として三塁コーチボックスから指揮を執ることになりました。
連休中どころか、5月といえばまだシーズンが始まったばかり。どうして、このような監督就任になったかといいますと、この年から就任した球団初の外国人監督、ジョー・ルーツ氏(米国)が4月27日の阪神戦で、ボール判定をめぐり審判に暴行。退場勧告すら無視して、その日のダブルヘッダー2試合目の指揮を拒否して、30日には退任してしまったからです。
ダブルヘッダー2試合目からは野崎泰一コーチが4試合ほど監督代理を務めましたが、この日、正式に当時39歳だった古葉コーチに監督就任が要請されたのでした。
わずか15試合で監督を退任してしまったルーツ監督でしたが、就任と同時に、それまで一塁手だった衣笠祥雄選手を三塁手に転向させ、日本ハムから大下剛史選手を獲得。ベンチにはスポーツドリンクを常備させるなど、3年連続最下位で「セ・リーグの番外地」などと揶揄されていた広島カープを大幅に改革。
何よりも大きかったのは、それまで地味な紺色だった球団カラーを燃えるような赤色に変えたことでした。予算の都合もあり、アンダーシャツやストッキングが赤色となったのは77(昭和52)年シーズンからでしたが、以降、「赤ヘル」はカープの象徴となり、現在へと至っています。
ルーツ監督が短期間で残した、勝つための「ルーツ野球」を受け継いだ古葉監督は名将ぶりを発揮し、10月15日の巨人戦(後楽園)で球団創立25年目にして、ついに待望のリーグ初優勝を果たします。79(昭和54)、80(昭和55)、84(昭和59)年はセ・リーグだけでなく、日本一にも輝き、ルーツ監督退任をきっかけに監督に就任し、85(昭和60)年まで11年間にわたり指揮を執り続けた古葉監督は名将と呼ばれました。
ベンチの端っこのほうで、隠れるように身体の半分だけのぞかせつつ采配する姿が名物だった古葉監督は昨年(2021年)11月12日、心不全のため死去。享年85でした。
参照:昭和50年5月4日付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
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