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ニュース 今日は何の日?雑学 2022/05/20

#ルミネエスト新宿#今日は何の日?#新宿民衆駅#新宿駅#昭和39年(1964年)の出来事#西武新宿駅

【今日は何の日?】5月20日=新宿民衆駅(現・ルミネエスト新宿)がオープン (1964年) / 雑学ネタ帳

東京・新宿駅東口.jpg

 現在のルミネエスト新宿

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

58年前の1964(昭和39)年。新宿駅の東口玄関に「新宿民衆駅(新宿ステーションビル)」がオープンしました。

今となっては「民衆駅」とは何のこっちゃ?となりますが、要は商店やレストランなども内包された駅ビルのことです。78(昭和53)の全館改装時から「マイシティ(MY CITY)」と改名し、2006年からは「ルミネエスト新宿(LUMINE EST)」として親しまれているあの建物です。

地上8階、地下3階で250もの商店、食堂、結婚式場や催事会場や地下駐車場が入ったこの建物は、この時点で全国に36あった民衆駅の中でも最大規模のモノとなりました。 
 
午前9時30分のオープンと同時に人が押し寄せ、正午時点ではお客さんの数は約5万人を数えたそうです。はるばる信州・松本から夜行列車に乗って開店に駆けつけた人もいたそうです。

さて、当時の新聞記事や広告によりますと、翌65(昭和40)年からは、この駅ビルに西武線が乗り入れる予定となっていたようです。ちょうど駅ビルの北側2階に西武線の改札が設置され、電車ホームは国鉄線路に沿って現在のスタジオアルタ方面へと延びる構造で計画されていたそうです。

ところがこの時期、西武沿線の急激な人口増加により、電車の編成を伸ばすこととなり、それだとホームの長さも確保できないことが判明。結局は新宿民衆駅への乗り入れを断念し、52(昭和27)年より仮駅として歌舞伎町に暫定開業していた現在の西武新宿駅が、そのまま使用される運びとなったそうです。JRと西武の新宿駅の距離がやや遠いのには、そんな理由があったのですね。 
 
 
 参照:昭和39年5月18日、5月20日の毎日新聞夕刊

文 / 高木圭介

 

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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