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【今日は何の日?】5月25日=大相撲の力士に初めての月給が支給(1957年) / 雑学ネタ帳

《画像はイメージです》
65年前の1957(昭和32)年。この月から月給制へと移行した大相撲の力士(※十両以上)や親方衆に初月給が支給。夏場所七日目であるこの日、蔵前国技館の協会事務所わきの小部屋に設置された「支払い所」にて、初体験となる給料袋が支給されました。
この時期の日本相撲協会は、5月4日に起きた出羽ノ海理事長の自殺未遂騒動などを経て、組織そのものの大改革が急がれており、新たに就任した時津風理事長のもと推進されたものの一つが月給制度です。
賞金など月給以外の収入が多いのも角界の伝統ですが、この時の新聞報道によりますと横綱(栃錦、鏡里、千代の山、吉葉山)が額面15万円から源泉所得税など約3万円が差し引かれ、手取りで約12万円程度。大関(若ノ花、朝汐、松登)らの手取り月給が約9万円、三役力士が約5万円程度だったそうです。
協会事務所としても、そろばんを弾くのも伝票に書き込むのも初体験とあって、前日から大忙し。いざ迎えた初月給日でしたが、本場所中ということもあって力士たちの出足もまばら。午前中の時点で月給を受け取ったのは60人程度だったそうです。
一番最初に支払い所を訪れ、月給を手にしたのは元名寄岩の春日山検査役。ほとんどの力士は代理で付き人を派遣しては月給を受け取る形となりましたが、現役力士で初めて支払い所を訪れ、自らの手で給料袋を手にしたのは、この場所から新十両として土俵に上がっていた20歳の金ノ花(のちの金乃花=出羽海部屋)だったそうです。
はじめての給料袋を手にした金ノ花は「サラリーマンになったみたいです。全部生活費ですよ」と、はにかみつつ感想を述べていたとか。お金の話だけに金ノ花登場とは、やや出来過ぎたようなエピソードですね。
参照:昭和32年5月25日付の毎日新聞夕刊
文 / 高木圭介
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介護のみらいラボ編集部コメント
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