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【今日は何の日?】6月2日=東京・南千住に東京スタジアムがオープン(1962年) / 雑学ネタ帳

現在の東京スタジアムの跡地。右奥が荒川総合スポーツセンター(東京都荒川区)
60年前の1962(昭和37)年。東京の下町・南千住にプロ野球・大毎オリオンズ(現在の千葉ロッテ・マリーンズ)の本拠地として東京スタジアムがオープンしました。
当時のプロ野球事情として、巨人、国鉄、大毎の3球団が後楽園球場を本拠地としており、当然のように過密日程に悩まされていました。そこで「永田ラッパ」と異名をとった大毎の名物オーナー・永田雅一さんが下町に自前で球場の建設を決意したのです。
オーナー指令により、NFLの49ersの本拠地・サンフランシスコのキャンドルスティックパーク(現・モンスターパーク)をモデルに建設。当時の下町には、まだ高層建築が少なかったことから、巨大な東京スタジアムは異様な存在感を示し、充実したナイター設備ゆえに「光の球場」と呼ばれ下町名所となりました。
この日はパ・リーグの全6球団が集結して午後4時から開場式。 陸上自衛隊中央音楽隊の勇壮なファンファーレに続き、船橋ヘルスセンター少女音楽隊の先導により、ライト側入口から南海ホークス、東映フライヤーズ、西鉄ライオンズ、阪急ブレーブス、近鉄バファローズ、大毎オリオンズの順で入場し、ホームベース前に整列しました。現存球団がないことに60年の時間経過を感じさせられます。
午後7時、河野一郎農林大臣が大リーグ式に、一塁側ダッグアウトの上から始球式を行い、こけら落としとなる大毎vs南海がスタートしました。試合はホームの大毎が9対5で勝利しましたが、この新スタジアムで記念すべき初ホームランを打ったのは南海の野村克也選手でした。
スタジアムは72(昭和47)年に閉鎖後、77(昭和52)年に解体。跡地には現在、荒川総合スポーツセンターや南千住警察署が建てられています。在りし日の東京スタジアムの姿は、特撮ドラマ『帰ってきたウルトラマン』の最終回(72年放送)で、球場内と球場外とたくさん見ることができます。
参照:昭和37年6月3日付の朝日新聞朝刊
文 / 高木圭介
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