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【今日は何の日?】6月16日=俳優・津川雅彦が松竹と電撃契約 (1958年) / 雑学ネタ帳

《画像はイメージです》
64年前の1958(昭和33)年。前年秋に日活を辞めて、その去就に注目が集まっていた俳優・津川雅彦さんが、この日に松竹と専属契約を結び、大きな話題となりました。
津川さんの兄が俳優・長門裕之さんであることはおなじみですが、父が歌舞伎役者(澤村国太郎さん)、母が女優(マキノ智子さん)、祖父が映画監督の牧野省三さん、さらに叔母が沢村貞子さん、叔父が加東大介さんと、どちらを向いても芸能関係という凄い一族ですね。
そんな縁から、戦前期の4才児の頃から子役として映画出演していた津川さんでしてが、青年となってから一躍注目を集めたのが2月に亡くなった石原慎太郎さんの原作で、石原さんの実弟である石原裕次郎さんの実質的なデビュー作であり、のちに夫人となる北原三枝さんとの初共演作でもある『狂った果実』(56年・日活)への出演でした。
映画の脚本も担当していた石原慎太郎さんは、かねて裕次郎さんの弟役を探しており、ある結婚式でたまたま見かけた津川少年を気に入り、『狂った果実』への出演をオファー。自らの出世作でもある『太陽の季節』の主人公・津川竜哉(※日活映画版で演じたのは津川さんの兄・長門さんでした)の名字と、津川さんの本名である「加藤雅彦」を合わせて、石原慎太郎さんが「津川雅彦」と命名しました。
松竹移籍が決定後、約3か月、米ハリウッドにわたり演技の勉強をして帰国した津川さんは、翌59(昭和34)年から松竹映画に出演し続けることになります。
現在、印象に残る時代劇での数々の徳川将軍役や、必殺シリーズにおける悪役、伊丹十三作品における少し気弱な中年男性役などなどは、まだかなり先のこと。弱冠18歳にして、映画会社の移籍が取り沙汰されていた津川さんの長きにわたるスター経歴に驚かされます。
参照 : 昭和33年6月16日付の毎日新聞夕刊
文 / 高木圭介
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介護のみらいラボ編集部コメント
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