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【今日は何の日?】6月21日=都営地下鉄1号線(都営浅草線)が全区間で開業 (1968年) / 雑学ネタ帳
都営浅草線駅に停車する京急車両
54年前の1968(昭和43)年。首都圏を縦断する大動脈と呼ぶべき、都営1号線(現・都営浅草線)の大門~泉岳寺間が開通。同時に京浜急行の泉岳寺~品川間も開通し、京急電鉄~都営地下鉄~京成電鉄と3路線による、神奈川県~東京都~千葉県とまたがる長距離乗り入れがスタートしました。
58(昭和33)年8月に建設工事が開始されて10年越しの完成。いきなり全線ではなく、その開通はかなり細切れなものでした。
まず60年12月に押上~浅草橋、62年5月に浅草橋~東日本橋、同じく62年9月に東日本橋~人形町、63年2月に人形町~東銀座、同じく63年12月に東銀座~新橋、64年10月に新橋~大門といった小刻みな開通だったのです。
都営ならではの判断で、東京オリンピック(64年10月)用の工事を優先させるため、建設工事は一時中断。オリンピック後に工事が再開され、68年6月15日に新橋~大門間が複線化されると京急車両が浅草線内を走り始め、この6月21日にようやく全線開通へと至りました。
この開通の何が大きかったかというと、神奈川県の三浦半島にまで通ずる京急と、都営地下鉄、そして押上から京成電鉄で千葉県の成田市方面(※当時はまだ成田空港は存在せず)まで、一気に直通運転が可能となったことでした。
現在、京急の終点である三崎口駅(神奈川県三浦市)から京成の(成田)空港第2ビル駅(千葉県成田市)までを京成線経由で直通した距離は141.6kmにも及び、それは東海道線にあてはめると東京駅から富士山にほど近い吉原駅(静岡県富士市)とほぼ同距離となります。
78年7月からは路線名を都営浅草線と改称。開通当時には、終点駅とはいえ都営線と京成線をつなぐ下町のジャンクション駅に過ぎなかった押上駅も、今や地上に東京スカイツリーがそびえ立つ、観光名所の駅としても賑わっています。
参照 : 昭和43年6月20日付の読売新聞夕刊
文 / 高木圭介
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介護のみらいラボ編集部コメント
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