#プロ野球#今日は何の日?#南海ホークス#昭和43年(1968年)の出来事#東京オリオンズ#東京スタジアム#野村克也
【今日は何の日?】7月12日=プロ野球・野村克也(南海)が国内初の400号ホームランを記録(1970年) / 雑学ネタ帳

《画像はイメージです》
54年前の1968(昭和43)年。この日の夜、東京・南千住の東京スタジアムにて行われたプロ野球、パ・リーグの公式戦「東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ) vs 南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)」の13回戦にて、南海の野村克也選手が日本のプロ野球初となる400号本塁打を記録しました。
3回表、二死の場面で打席に立った野村選手はオリオンズの坂井勝二投手の初球、高めのスライダーをバックスクリーン手前の芝生に叩き込みます。当時の日本球界では前人未踏の400号を達成。56(昭和31)年4月28日、後楽園球場にて東京オリオンズの前身・毎日オリオンズの中川隆投手からプロ第1号を打ってから12年目の偉業でした。
6月29の近鉄バファローズ戦(大阪球場)にて、1試合3本もの本塁打を打ち、記録を399号まで伸ばしていた野村選手でしたが、以降は9試合、41打席にわたって足踏み。待望の400号にさぞや喜びを爆発させるのかと思いきや、この日は9対2で南海が敗れたとあって、選手兼コーチの立場もあり試合後も浮かない顔。
「東京(オリオンズ)はよく打つなぁ」と、まずは乱打を浴びた南海投手陣をチクリ皮肉ると、「こんなゲームでは感激も薄れる。勝ち試合で打ちたかった」と不満顔を見せたあとに、「500号を打って引退したいが...」とようやく笑顔をのぞかせていたそうです。のちの監督時代に発揮されていた「ぼやきキャラ」が、すでにこの時点で完成されていたことがうかがえますね。
この日の時点で、日本球界の通算本塁打数記録は、①400本・野村克也(南海)、②358本・山内一弘(広島)、③330本・王貞治(巨人)、④281本・長嶋茂雄(巨人)となっていました。
500本打ったら引退をほのめかしていた野村選手ですが、80(昭和55)年10月の引退までに通算657本の本塁打を記録しています。
参照 : 昭和43年7月13日付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
SNSシェア
介護のみらいラボ編集部コメント
高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。