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ニュース 今日は何の日?雑学 2022/07/24

#ミス・ユニバース#今日は何の日?#児島明子#宝田明#昭和34年

【今日は何の日?】7月24日=児島明子がアジア人初のミス・ユニバースに(1959年) / 雑学ネタ帳

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 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

63年前の1959(昭和34)年。米ロングビーチ(カリフォルニア州)にて開催されていた『ミス・ユニバース 1959』に日本代表としてエントリーしていた児島明子さん(22歳)が、最終選考でブラジル、イングランド、米国、ノルウェー代表を抑えてグランプリを獲得。日本人としてはもちろん、アジア人としても初めてミス・ユニバースに輝きました。

1936年、東京都世田谷区出身の児島さんは前年に同大会の東京代表に選ばれ、各地の代表とともに都内をパレード中に追突事故に巻き込まれて負傷。2か月の入院を余儀なくされ、その後の日本代表選考会を棄権するという不運に見舞われていました。1年後の59年選考会に満を持して臨み日本代表となり、なんと「世界の美の頂点」に立ったのです。以降、日本人のミス・ユニバースは48年後の2007年にダンサーの森理世さんが獲得するまで誕生しませんでした。

優勝者にはトロフィーや賞金(2,500㌦=当時の為替レートで約90万円)のほか、ハリウッド進出へのチャンスが与えられることが恒例となっていましたが、ハリウッド進出への欲が薄かった児島さんは、たどたどしい英語にて「私はかわいい妻になりたい」とスピーチ。これは当時の流行語となりました。

実は児島さん、この時点で、のちに結婚することになる俳優の宝田明さんと交際していた様子で、7年後の66(昭和41)年に宝田さんと結婚(※84年に離婚)しました。

お互いに売れっ子となってしまったため、なかなか結婚話は進まず、当時の芸能マスコミに「永すぎた春」と称されたそうです。歌手、女優として活躍する児島未散さんはお二人の長女にあたります。 

文 / 高木圭介

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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