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ニュース 今日は何の日?雑学 2022/08/05

#アンデルセン選手#ゴーマン美智子#ロサンゼルス五輪#今日は何の日?#増田明美#女子マラソン#昭和59年

【今日は何の日?】8月5日=女子マラソンが初めてオリンピック競技として実施(1984年) / 雑学ネタ帳

女子マラソン(イラスト).jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

38年前の1984(昭和59)年。現在では当たり前のように実施されている人気競技『女子マラソン』が、米ロサンゼルスで開催されたオリンピックで初めて実施。午前8時すぎ、サンタモニカのスタート地点に並んだ50人の選手が一斉にスタートしました。
 
それまで女子マラソンは「女性には過酷すぎる」との理由で五輪どころか、一般レースでも採用されてきませんでした。70年代のウーマンリブ運動などを経て、「スポーツの平等」が叫ばれる中、伝統のボストンマラソンが女性参加を認めたのは72年から。74年には日本出身で米国籍のゴーマン美智子さんが38歳にして優勝したことも大きなニュースになりました。

女子マラソンで初の五輪日本代表に選ばれたのは佐々木七恵さん増田明美さん。50人の参加者で最年少(20歳)だった増田さんは、直前に体調不良に陥り、無念の途中棄権となり、佐々木さんは19位でレースを終えました。

五輪初の女子マラソンで、金メダルを獲得したジョーン・ベノイト選手以上に、人々の印象に残ったのは、ベノイト選手のゴールから20分以上が経過した後、ゴールのスタジアムに入ってきたスイス代表のガブリエラ・アンデルセン選手(当時39歳)の姿でしょう。明らかに脱水症状を起こしており、上半身を左側に傾けつつ、最後のトラック1周を5分以上もかけてフラフラと彷徨うように歩き37位でゴール。

この印象的なシーンは世界中の感動を呼ぶと同時に、生命の危険から途中でストップをかけなかったこと、女子マラソンの過酷さ、暑い夏季五輪でマラソン競技を実施することの是非も含め、多くの議論を巻き起こしました。 

文 / 高木圭介

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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