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ニュース 今日は何の日?雑学 2022/08/13

#NHK#スポーツ中継#ラジオ#今日は何の日?#昭和2年#甲子園#第13回全国中等学校優勝野球大会#電波遮断器#高校野球#魚谷忠

【今日は何の日?】8月13日=甲子園にて日本初のスポーツ中継が行われる(1927年) / 雑学ネタ帳

高校野球(イメージ).jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

95年前の1927(昭和2)年。兵庫・阪神甲子園球場で開幕した『第13回 全国中等学校優勝野球大会(現・全国高等学校野球選手権)にて、日本初となるスポーツ中継(AMラジオ)が行われました。

あらゆるスポーツ中継がまだ存在しなかった時代。初のスポーツ実況を任されたのは前年に、大阪中央放送局(のちのNHK大阪)に入局したばかりの魚谷忠アナウンサーでした。実は魚谷アナは選手として第2回大会(1916年)に出場し、準優勝したという経歴があり、その野球知識と体力を買われての抜擢だったそうです。

開幕の第1試合。記念すべき国内初のスポーツ中継で報じられたのは札幌第一(北海道代表)と青森師範(青森県代表)の試合。午前9時5分の放送開始と同時に魚谷アナが発した第一声は「JOBK、こちら大阪中央放送局 甲子園臨時出張所であります」だったそうです。

決勝戦までの全21試合を、たった一人で実況しなければならない魚谷アナは4日目あたりから声がかすれ始め、喉の痛みと戦いつつ、合間合間に吸入器を使用して、この甲子園実況を乗り切ったそうです。ちなみに、この大会で優勝した高松商には、のちにプロ野球で選手(巨人)や監督(巨人、東映、中日)として活躍する水原茂さんがいました。

この時代、ラジオ放送には逓信省の検閲が義務付けられていました。そのため、台本などの事前提出が不可能となるスポーツ中継を初実施するにあたり、大阪逓信局では「間違い」や「宣伝的な発言」があった場合、即座に放送を中断できるよう、放送席に「電波遮断器」を持ち込み、逓信局の係員を同席させることを条件にスポーツ実況中継の放送を認めたそうです。 


 参照 : NHK放送史  

 文 / 高木圭介

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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