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【今日は何の日?】8月19日=名古屋の中日スタジアムが全焼(1951年) / 雑学ネタ帳
《画像はイメージです》
71年前の1951(昭和26)年。名古屋ドラゴンズ(現・中日ドラゴンズ)が本拠地とする中日スタジアム(現・ナゴヤ球場)の試合中に火災が発生。瞬く間に火の手が回り、球場や周辺施設がほぼ全焼。4人が死亡、治療を受けた重軽傷者が318人にものぼる大惨事となりました。
この日は「名古屋ドラゴンズvs読売ジャイアンツ」の19回戦。中日の先発投手は「フォークの神様」こと杉下茂投手でした。内野指定席上段から火の手があがったのは午後4時前、3回裏の中日・西沢道夫選手が打席に立っている時でした。
この日は強風とあり、たちまち火の手は回り、試合を中断した選手たちも2万5,000人の観客を避難させつつ大混乱。この時、観客席には後に中日の主力選手、監督となる高木守道さん(当時10歳)もいたそうです。
ようやく鎮火したのは午後5時40分頃。しかし、3年前の58(昭和23)門に約1か月半の突貫工事で完成したばかりの球場はほぼ全焼。正面スタンド入口付近の球団事務所や熊谷組事務所、駐輪場、周辺の民家4軒、工場3棟も全焼する大火事となってしまいました。
出火原因は、木造の内野スタンド床のすき間から下に落ちたタバコの吸い殻が、床下にたまっていた紙くずに引火したためでした。
本拠地を失ったドラゴンズは以降の公式戦日程を、鳴海球場(現在の名古屋市緑区に58年まで存在)や刈谷球場、浜松や四日市、松阪、彦根、神奈川県の茅ヶ崎まで各地方球場を転々として公式戦日程を消化したそうです。大規模な改修工事とともに鉄筋コンクリート製の新スタンドを擁した新生ナゴヤ球場がオープンしたのは翌52年4月5日のことでした。
文 / 高木圭介
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