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ニュース 今日は何の日?雑学 2022/09/08

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【今日は何の日?】9月8日=日本初のノーベル賞受賞者・湯川秀樹博士が死去(1981年) / 雑学ネタ帳

ノーベル賞のメダル.jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

41年前の1981(昭和56)年。日本初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹博士(京都大学名誉教授)が午後2時、急性肺炎に急性心不全を併発させて京都市左京区内の自宅で死去しました。74歳でした。

湯川博士は1907(明治40)年、東京・麻布生まれ。中間子論は、現代理論物理学の扉を開いたとされ、終戦からわずか4年後(1949)のノーベル物理学賞受賞は敗戦に打ちひしがれた日本国民に大きな自信と希望を与えたとされています。

1934(昭和9)年に完成した「中間子論」は、折からの室戸台風が京阪神地方に直撃した9月下旬、六甲連山の東端にあった別荘で過ごしつつ深夜に寝つくことができなかった湯川博士が、枕もとの計算用紙に書きつけたものだったという伝説があります。湯川博士自身も「うん、あの台風が間接的にきいとるね。頭にグワッグワッときた」と室戸台風効果を認めております。。

そんな湯川博士は一科学者として常に核兵器の禁止、戦争反対を常に訴え続けており、平和主義者としても戦後日本を代表する存在であり続けました。亡くなる3か月前の6月にも、「科学者京都会議」に出席し、核兵器根絶を訴えていた矢先の訃報でした。


 参照 : 昭和56年9月9日付の読売新聞朝刊

  文 / 高木圭介

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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