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ニュース 今日は何の日?雑学 2022/10/18

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【今日は何の日?】10月18日=京王相模原線が多摩センター駅まで開通(1974年) / 雑学ネタ帳

京王相模原線(多摩川).jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

48年前の1974(昭和49)年。京王相模原線が多摩ニュータウンの玄関口、多摩センター駅まで開通しました。

調布駅から分岐して多摩川へと向かう路線は砂利運搬を目的として計画。京王電鉄が運営する遊園地「京王閣」が存在した関係で、京王多摩川駅(当初は多摩川原駅)までは、すでに大正時代の1916(大正5)年に開通。そこから先はニーズがなかったのでしょう。55年にわたってそのままでした。線路が多摩川を越え、京王よみうりランド駅まで開通し、線名が「京王相模原線」と改められたのは71(昭和46)年4月のことです。

開発が進められる多摩ニュータウンへの延伸が期待される中、以降は同じく新宿駅を起点とする小田急電鉄と開通を競い合うこととなります。多摩ニュータウンの玄関口となる多摩センター駅の一つ手前にあたる永山駅までは、6月1日に小田急多摩線が先に開通しましたが、本丸となる多摩センター駅への開通は京王線が先となりました(小田急の開通は半年後の75年4月)。この日は同時に中間にある稲城駅若葉台駅京王永山駅が開通しています。

ながらく多摩センター駅が終点となる時代が続きましたが、昭和ラストの88年5月に南大沢駅まで延伸。時代が平成に移り90(平成2)年3月に、現在の終点である橋本駅まで開通しています。

京王相模原線はもともと、津久井湖方面までの延伸が計画されていた路線でしたが、土地買収などの困難もあり、途中で断念したという歴史があります。 
 
 参照 : 昭和49年10月17日付の毎日新聞夕刊 

   文 / 高木圭介

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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