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ニュース 今日は何の日?雑学 2022/12/02

#プロ野球#メキシコオリンピック#今日は何の日?#千葉ロッテマリーンズ#昭和43年#東京オリオンズ#東京オリンピック#陸上選手#飯島秀雄

【今日は何の日?】12月2日=陸上のオリンピック選手がプロ野球入り(1968年) / 雑学ネタ帳

陸上短距離(イラスト).jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

54年前の1968(昭和43)年。陸上競技で1964年東京五輪(100m、200m、100mリレー)、68年メキシコ五輪(100m、100mリレー)に出場している飯島秀雄選手(当時25歳=早稲田大学卒)がプロ野球パ・リーグの東京オリオンズ(翌年からロッテオリオンズに改称=現・千葉ロッテマリーンズ)に入団することが発表されました。

この日の午後、東京・南千住の東京スタジアム会議室で濃人渉監督と並んで入団会見を行った飯島選手の背番号は88。オリオンズではかねてから100mを10秒1で走り、とくに前半の50mのスタートダッシュは「世界一」とまで謳われていた飯島選手の脚力に注目しており、飯島選手がメキシコ五輪から帰国後に永田雅一オーナー自らが熱心にスカウトに動き、ついに獲得に成功しました。

野球以外のスポーツ選手がプロ野球転向するのは、陸上やり投げの加藤康雄選手(中央大学→巨人)、レスリング(フリースタイル)のメルボルン五輪代表選手にしてアジア王者、世界選手権3位の経歴を持つ桂本和夫選手(中央大学→国鉄)以来、3人目となります。

登録上は一応、外野手となっていますが、事実上の代走要員としての獲得。飯島選手は3年間におけるプロ野球生活において、一軍公式戦において、ただの1度も打席や守備につくことはありませんでした。

世界初の代走専門選手」は興行的にも大きなウリとなり、東京スタジアムに駆けつけたお客さんは前年比の倍にまで達し、盗塁だけでなくプロ野球の肝ともいえる集客に大いに貢献したそうです。

 参照 : 昭和43年12月3日付の読売新聞朝刊

 文 / 高木圭介


 
 

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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