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ニュース 今日は何の日?雑学 2022/12/03

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【今日は何の日?】12月3日=柔道で初の外国人世界王者が誕生(1961年) / 雑学ネタ帳

柔道(イラスト).jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

61年前の1961(昭和36)年。フランス・パリで開催されていた第3回世界柔道選手権において、オランダ代表のアントン・ヘーシンク五段が、決勝戦で日本代表の前大会の王者・曽根康治六段をけさ固めに下して一本勝ち。外国人初の柔道世界王者となりました。

柔道の世界選手権は56(昭和31)年に東京・蔵前国技館で初開催。第2回大会は58(昭和33)年に同じく日本の東京体育館で開催され、それぞれ夏井昇吉選手曽根康治選手が優勝し世界王者になりました。世界選手権が体重別の階級制となったのは64年東京五輪後の第4回大会(65年)からで、当時は「柔道=無差別勝負」という時代でした。

柔道の世界選手権が初めて日本国外で開催される中、198cmの長身を誇るヘーシンク選手の存在は脅威と目されていました。この大会、日本からは曽根五段のほか、古賀武四段神永昭夫五段と3選手が日本代表としてエントリーしていましたが、ヘーシンク選手は準々決勝にて1分22秒、得意の左内股で古賀選手に一本勝ち。続く準決勝では神永選手を判定で下し、決勝戦で日本最後の砦となった曽根選手と雌雄を決することとなったのです。

長身を駆使した得意の支え釣り込み足から、曽根選手を寝技へと引き込んだヘーシンク選手は、そのままけさ固めで押さえ込み、2分50秒で一本勝ち。外国人初の柔道世界王者となったのです。

3年後に控える東京五輪に向け、日本柔道に暗雲が立ち込める結果となりましたが、見方を変えると、日本独自の柔道が、世界のJUDOへと普及発展した証の瞬間だったのかも知れません。

日本柔道敗れる――。パリ発の衝撃の一報を耳にした「柔道の神様」こと、空気投げでおなじみの三船久蔵十段(当時78歳)は「ヘーシンクは難敵だと思っていたが、まさか3人が続けて負けるとは...」と当初ショックを隠せない様子だったとか。

しかし「(ヘーシンクは)講道館で人一倍、熱心な稽古をしていたのが実ったのだろう。"日本にさえ勝てば"という心のハリがあったので、気合の入れようも違ったのだろう。負けた悔しさよりも、(今は)ヘーシンクを褒める気持ちが強い」とヘーシンクの健闘を褒め称えていたそうです。

 参照 : 昭和36年12月3日付の毎日新聞夕刊

  文 / 高木圭介
 

 
 

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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