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【今日は何の日?】12月14日=テレビ映画『忍者部隊月光』の撮影中に爆発事故(1963年) / 雑学ネタ帳

《画像はイメージです》
59年前の1963(昭和38)年。東京・世田谷区砧にあった新東宝第一撮影所内のオープンセットで爆発事故が発生。撮影中だった土屋啓之助監督(当時40歳)をはじめ、撮影助手、小道具係ら6名に火が飛び散り、顔や手足に火傷を負いました。6名は直ちに救急車や成城署のパトカーによって、近隣の国立大蔵病院などに搬送されました。
事故が起きたのはこの日の午後1時50分頃。年明け(64年)の1月3日よりフジテレビで放送スタートを予定していたテレビ映画『忍者部隊月光』の第1話を急ピッチで撮影していた最中の出来事でした。
成城署で爆発の原因を調べたところ、照明スイッチを入れた弾みにスパークを起こし、導火線として使用していた黒色火薬に引火したものと見られています。
放送スタート前に爆発事故を起こしてしまった『忍者部隊月光』は、後にアニメでおなじみのタツノコプロダクションを設立する吉田竜夫さんの原作をもとにした実写ドラマ。勧善懲悪で分かりやすいヒーローがほとんどだった昭和30年代にあって、スパイ映画や忍者物のエッセンスも入れつつ、2回で1話完結というハードで複雑なストーリーで人気に。渡辺宙明さん作曲によるエレキギターを使用した主題歌も時代の先端を走ってました。
忍者部隊の月光隊長(水木襄さん演)が毎回、オープニングにて拳銃で悪漢を倒した女性隊員を叱りつつ「馬鹿、撃つ奴があるか。拳銃は最後の武器だ。我々は忍者部隊だ!」という台詞も子どもたちに流行しました。
番組は66年10月まで2年10か月も続き、原作者の吉田竜夫さんがのちに、この忍者部隊~の設定を、よりダイナミックな展開が可能となるアニメ作品用に練り直して大ヒットさせたのが『科学忍者隊ガッチャマン』だと言われています。
爆発事故が起きてしまった新東宝第一撮影所は現在、日本大学商学部(写真)キャンパスの一部となっています。
参照 : 昭和38年12月14日付の毎日新聞夕刊
文 / 高木圭介
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介護のみらいラボ編集部コメント
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