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【今日は何の日?】12月17日=中日ドラゴンズの杉下茂前監督が選手として大毎オリオンズ入団(1960年) / 雑学ネタ帳

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62年前の1960(昭和35)年。セ・リーグにて5位転落の責任を取り、シーズン終了後に辞任表明した中日ドラゴンズ・杉下茂前監督が、なんと選手として現役復帰し、パ・リーグの大毎オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)入団を発表しました。
かねて大毎入りを打診されていた杉下選手は、この日に東京帝国ホテルにて大毎の永田雅一会長と会談を持ち、正式決定に至ったものです。
この時点で、日本のプロ野球は39(昭和11)年以来、24年の歴史を積み重ねていましたが、監督から現役選手へと復帰したケースは若林忠志選手、藤村富美男選手(いずれも阪神タイガース)しかおらず、杉下選手が史上3人目となりました。
杉下選手は49(昭和24)年に明治大学から中日入り。55年まで6年連続で20勝投手に輝き、沢村賞を3度受賞。57年にはプロ入り8年目にして200勝を飾っています。凄まじい威力のフォークボールで知られ、今もなお「フォークボールの神様」の異名とともに語り継がれています。
59(昭和34)年に33歳の若さで中日監督に就任したものの、なかなか好成績を残せず、ついには投手として現役復帰を決意。そんな杉下選手は「ヒジの痛みも2年間、現役を退いたため今では全然感じない。この点は2年間のブランクがプラスになったと思う。自分でも入ったからには、できるだけのことをやっていく」と語りました。
2年のブランクを経て、61(昭和36)年シーズンから再びマウンドに立った杉下選手は、この年に4勝をマーク。しかし全盛時の勢いは取り戻せずに再び引退。62(昭和37)年からは大毎の一軍投手コーチに就任しました。
参照 : 昭和35年12月18日付の毎日新聞朝刊
文 / 高木圭介
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