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【今日は何の日?】12月27日=第1回レコード大賞が放送される(1959年) / 雑学ネタ帳
《画像はイメージです》
63年前の1959(昭和34)年。現在も続く、音楽界を代表する賞レース『レコード大賞』の第1回がこの日に開催。午後3時5分よりKRテレビ(現・TBS)で放送されました。
レコード大賞はもともとテレビ局の主導ではなく、流行歌や童謡の作曲家による日本作曲家協会の発案でスタート。協会に所属する作曲家が自作曲を1曲ずつエントリーし、音楽評論家であり、音楽コンクール審査などでおなじみ「増沢式採点法」の考案者である増沢健美さんを委員長とする外部の審査員に依頼して選考される形式でした。
初の大賞に選ばれたのは水原弘さんが歌う「黒い花びら」(作曲・中村八大、作詞・永六輔)。童謡賞が「やさしいおしょうさん」(作曲・八洲秀章、作詞・加藤省吾、歌・石井亀次郎とキングほうずき会)。作曲・編曲賞が渡久地政信さん(夜霧に消えたチャコ=ビクター)。作詞賞がサトウ・ハチローさん(フルート=コロムビア)。そして歌唱賞がフランク永井さん「夜霧に消えたチャコ=ビクター)でした。
現在と大きく違うのは、各賞の選考会は12月15日に終了しており、翌日には新聞紙上などでも発表。この日は各受賞者が東京・文京公会堂(現・文京シビックセンター=写真)のステージから歌う姿が、ラジオ東京(現・TBS)の鶴田全夫アナウンサーの司会により午後3時5分から「作曲協レコード大賞発表会」なる45分番組としてテレビ中継されたのみ。当時、主流メディアだったラジオでは放送されていません。
当日に選考が発表され、受賞者が喜びとともに歌唱する現在からすると、かなり地味な演出にも感じますね。そんなレコード大賞が当日選考で、大晦日夜7時からの放送となり、NHKの紅白歌合戦と並ぶ存在となったのは、69(昭和44)年の第11回からのことでした。
どんな賞でもそうですが、1回目というのは伝統も権威もない未知数な存在。栄えある第1回の大賞歌手に選ばれた水原弘さんも「全然幸運ですね。中村八大さんが私の歌い方をよく生かしてくださったからです。自分の歌い方でゆけるというのは、とても楽なことです」と、わりと淡々と受賞の喜びを語っています。
しかし、1回目の大賞に選ばれた「黒い花びら」が、ジャズ喫茶などで長い下積みを重ね、ロカビリー系とも目されていた水原弘さんの歌唱、ジャズピアニストとして有名だった中村八大さんの作曲、本業は放送作家である永六輔さん作詞の楽曲だったことは、それまで旧態依然としていた日本音楽界のボーダーレス化に貢献し、のちの音楽業界に大きな影響を与えたのでした。
参照 : 昭和34年12月17、18日付の毎日新聞夕刊
文 / 高木圭介
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