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【今日は何の日?】1月10日=放浪の画家・山下清が鹿児島で発見される(1954年) / 雑学ネタ帳

《画像はイメージです》
69年前の1954(昭和29)年。知的障害を持ちつつ、卓越した表現力で「日本のゴッホ」と称された放浪の画家・山下清さん(当時31歳)が鹿児島の地で発見されました。
山下さんの放浪癖は芦屋雁之助さんや塚地武雄さんが山下さんを演じたテレビドラマ『裸の大将放浪記』(80年~)や、小林桂樹さんが演じた映画『裸の大将』(58年)などでもおなじみの光景ですが、その放浪癖は本当の話で、昭和20~30年代には「山下清君がまた行方不明」「山下清君が〇〇で発見」などというニュースが報じられていました。
約2年半前の51(昭和26)年夏に千葉県市川市の八幡学園を脱け出し行方不明となっていた山下さんですが、この日の正午頃に鹿児島県谷山町(現・鹿児島市)の小松原墓地付近を木綿の着物、兵児帯(へこおび)から使い古された手ぬぐいをぶら下げ、杉下駄を突っかけたスタイルで歩いているところを地元のラ・サール高校2年生の少年に発見されます。
ただちに朝日新聞社の鹿児島支局へと連絡が行き、新聞記者とカメラマンによって"捕獲"。この頃、山下さんは鹿児島駅前のバス停留所に寝泊りする生活を送っていましたが、当時の新聞に映る山下さんの表情は、放浪生活の邪魔をされたとあって、かなり不機嫌そうに見えます。
朝日新聞の東京本社へと電送された写真を見た山下さんの母・ふじさん(当時56歳)は「(これは)清です」と本人確認。「鹿児島とはビックリしました。弟妹が兄の身の上を心配しているので、誰かが迎えに参ります。清の画才を伸ばしてやりたいという人が、2、3日前も家を訪ねて下さった。八幡学園の渡辺(実)先生とも相談して帰京後のことは決めます」とコメントを残しています。
ようやく発見された"日本のゴッホ"の件は、大きなニュースとして扱われましたが、放浪の旅を打ち切られた山下さん本人は「ボクは八幡学園にいる時から暖かくなると飛び出すクセがあり、絵を描く生活と人から物をもらって暮らすルンペンとどちらが良いか考え、ルンペンのほうが気楽と思って3年前の5月3日に学園を飛び出し、常磐線沿いに仙台まで歩いた。1日、3~4里歩いては駅の待合室やお宮、お寺で寝ることにしている。食物のほかに金をもらったら汽車賃に貯めて決してムダ使いしない主義だ。仙台から山形~郡山~新潟を経て高崎から横浜に出た。東京には飽きており、横浜から岐阜まで歩いた。岐阜から汽車で門司に着き、(昭和)27年の正月は鹿児島で迎えた。鹿児島は暑くなるので、4月、鹿児島を切り上げ新潟に行った。そしてまた寒くなると鹿児島に来るわけで今度で3度目。母も年寄りだし可哀想だが、弟や妹がいるからそう心配はない。いい景色を見ると絵を描きたいと思うこともあったが、ゴッホもルッソーも、そんな人は全然知らない。ルンペンで一生終わるかも知れない」と、にべもなく語っています。
参照 昭和29年1月11日付の朝日新聞朝刊
文 / 高木圭介
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