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【今日は何の日?】1月26日=12代将軍・徳川家慶のミイラが発掘(1959年) / 雑学ネタ帳
《画像はイメージです》
64年前の1959(昭和34)年。東京・芝の増上寺に葬られている江戸幕府の12代征夷大将軍・徳川家慶のミイラが発掘されました。
増上寺の境内北側には前年(58年)暮れに東京タワーが建ったばかり。そのタワー鉄塔近くには徳川歴代将軍が眠る墓(おたまや)があります。戦後久しく荒れるにまかされ、この時期に改葬されることとなり、東京・上野の国立博物館や東大の人類学教室が「科学のメス」を入れることとなりました。
すでに前年(58年)8月に発掘されていた2代目将軍・秀忠、6代目将軍・家宣に続き、この日には12代目の家慶の棺や遺体が発掘されたのです。
家慶は1793年生まれ。ペリー提督の黒船が浦賀に来航(1853年6月3日)し、幕府が大揺れする最中の同年7月27日に60歳で死去しています。
約1メートル四方の棺は、約5.1メートルの深さに約1.5メートル四方の大きな銅箱の中に納められており、内部は三重構造。棺の中には湿気と腐敗を防ぐために約20俵分の木炭が詰められており、遺体は黒い袍(ほう)の衣冠束帯姿でした。
東大人類学教室の鈴木尚教授の見立てによるとミイラ化した家慶は「貴族らしい上品な顔」が保たれており、棺の中に正座する姿勢で、死後106年目にして現代の徳川家当主である徳川家正氏と対面を果たしました。
上下にドンスの布団(長さ1.9メートル余)が折りたたまれており、左側には金の飾り太刀、衣装10数点も発掘。秀忠や家宣の棺では発掘されなかった五輪の塔婆、銅のアミダ像(約6センチ)、数珠、棺が納められた石室の四方には経文を記した経石1万2,000個が発見されるなど、当時の仏教と徳川将軍家との関係が示される貴重な史料となりました。
参照 : 昭和34年1月27日付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
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