Produce by マイナビ介護職 マイナビ介護職

介護の未来ラボ -根を張って未来へ伸びる-

ニュース 今日は何の日?雑学 2023/01/26

#ミイラ#今日は何の日?#仏教#国立博物館#増上寺#徳川家宣#徳川家慶#徳川将軍家#徳川秀忠#昭和34年#東京タワー#東大人類学教室#江戸幕府#黒船来航

【今日は何の日?】1月26日=12代将軍・徳川家慶のミイラが発掘(1959年) / 雑学ネタ帳

徳川家慶のお墓(増上寺).jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

64年前の1959(昭和34)年。東京・芝の増上寺に葬られている江戸幕府の12代征夷大将軍・徳川家慶のミイラが発掘されました。

増上寺の境内北側には前年(58年)暮れに東京タワーが建ったばかり。そのタワー鉄塔近くには徳川歴代将軍が眠る墓(おたまや)があります。戦後久しく荒れるにまかされ、この時期に改葬されることとなり、東京・上野の国立博物館や東大の人類学教室が「科学のメス」を入れることとなりました。

すでに前年(58年)8月に発掘されていた2代目将軍・秀忠、6代目将軍・家宣に続き、この日には12代目の家慶の棺や遺体が発掘されたのです。

家慶は1793年生まれ。ペリー提督の黒船が浦賀に来航(1853年6月3日)し、幕府が大揺れする最中の同年7月27日に60歳で死去しています。

約1メートル四方の棺は、約5.1メートルの深さに約1.5メートル四方の大きな銅箱の中に納められており、内部は三重構造。棺の中には湿気と腐敗を防ぐために約20俵分の木炭が詰められており、遺体は黒い袍(ほう)の衣冠束帯姿でした。

東大人類学教室の鈴木尚教授の見立てによるとミイラ化した家慶は「貴族らしい上品な顔」が保たれており、棺の中に正座する姿勢で、死後106年目にして現代の徳川家当主である徳川家正氏と対面を果たしました。

上下にドンスの布団(長さ1.9メートル余)が折りたたまれており、左側には金の飾り太刀、衣装10数点も発掘。秀忠や家宣の棺では発掘されなかった五輪の塔婆、銅のアミダ像(約6センチ)、数珠、棺が納められた石室の四方には経文を記した経石1万2,000個が発見されるなど、当時の仏教と徳川将軍家との関係が示される貴重な史料となりました。

 参照 : 昭和34年1月27日付の読売新聞朝刊
 

   文 / 高木圭介

 

【日本全国電話・メール・WEB相談OK】介護職の無料転職サポートに申し込む

最新コラムなどをいち早くお届け!
公式LINEを友だちに追加する

お役立ち情報を配信中!
X(旧Twitter)公式アカウントをフォローする

介護職向けニュースを日々配信中!
公式Facebookをチェックする

SNSシェア

高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

高木圭介の執筆・監修記事