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【今日は何の日?】2月7日=阪神タイガース・辻佳紀捕手の口ヒゲが話題になり始める(1967年) / 雑学ネタ帳
《画像はイメージです》
56年前の1967(昭和42)年。ホームの甲子園球場にてキャンプ中だったプロ野球、阪神タイガースの辻佳紀捕手(当時26歳)がたくわえた口ヒゲが話題になり始めました。
当時のプロ球界において日本人選手がヒゲを生やすことは多くの球団で禁止されており、タブーとされていました。ところが前年10月の日米野球でロサンゼルス・ドジャースと対戦(甲子園)した辻選手は、同球団の正捕手であるジョン・ローズボロ選手のガッツ溢れるプレーと立派な口ヒゲに憧れてしまい、ローズボロ選手にあやかって口ヒゲを生やすことを思いつきます。
自ら阪神の戸沢一隆球団代表にかけあい、粘り強い説得で半ば強引に口ヒゲの許可を得た辻選手は、このキャンプで口ヒゲを伸ばしはじめ、非公式ではありますが日本プロ野球初のヒゲ選手となったのです。
キャンプ中も話題となり、阪神ナインからも「ローズボロ級ならいいんだが、君はボロボロだ」なんて冷やかされ、当時の新聞等では「珍妙なヒゲ」と称されたりしたものの、辻選手は初志貫徹で以降も口ヒゲ姿を貫きます。
当時の阪神には、同じく捕手のポジションに辻恭彦選手が在籍していたため、新聞やテレビ等でも「辻佳」「辻恭」と表記されていたものですが、口ヒゲをたくわえたことにより、辻佳紀選手のほうは「ヒゲ辻」の愛称で親しまれることになります。
以降、辻選手は近鉄バファローズ、大洋ホエールズを経て、再び、古巣の阪神へと出戻り75年シーズンを最後に引退し76年からは阪神のヘッドコーチに就任。コーチ辞任後は、その知名度を活かしてタレントとしても活動し、バラエティ番組で「パンツマン」なるキャラクターに扮して出演したり、わずか3人のプロ野球OBが少年野球チームと対戦する『欽ドン!野球』などに出演し続け、お茶の間の人気者となりました。
ヒゲとともに記憶に残る辻選手でしたが、89年4月にがんのため48歳の若さで亡くなっています。
参照 : 昭和42年2月8日付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
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介護のみらいラボ編集部コメント
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