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【今日は何の日?】2月27日=ファイティング原田が世界バンタム級王座から転落(1968年) / 雑学ネタ帳
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55年前の1968(昭和43)年。プロボクシング世界バンタム級王者・ファイティング原田選手(当時24歳=笹崎ジム)が、オーストラリアのライオネル・ローズ選手(20歳)を挑戦者に迎えた5度目の防衛戦に敗れて王座から転落。この日が原田選手にとって最後の世界チャンピオンだった日となりました。
日本武道館に7,000人の観衆を集めて行われた世界バンタム級タイトルマッチ。原田選手が防衛すれば、それまで白井義男選手が築いていた日本人選手による世界V4記録を破ることになるため、大いに期待が集まっていました。
午後8時18分にゴング。原田選手は序盤から若いローズ選手の素早いカウンターに苦しみ、ヒット&アウェー戦術にもペースを乱され、15Rを戦い抜いて判定負け。王座転落するだけでなく、63(昭和38)年11月以来続いていた連勝記録も「19」でストップしました。
デビュー(60年2月)当時から太りやすい体質で知られていた原田選手は、そろそろバンタム級(53.52kg)の体重維持が難しくなっていた模様。フライ級(50.8kg)で戦っていた時代ですら、試合のない通常時は65kg以上あったというから驚きです。試合前になると、ジムの水道栓を止めたり、手洗い場からシャワー室まで蛇口を針金でグルグル巻きにして止めてしまうなどの原田選手の逸話は、後に人気劇画『あしたジョー』(高森朝雄作、ちばてつや画)でも、力石徹の過酷な減量シーン描写へと引用されています。
所属ジムの笹崎僙(ささざき・たけし)会長も「長年の無理な減量による疲労と、ローズの若さにやられた。もうバンタム級では試合をやらせない。原田がボクシングを続ける気があるなら、(1階級上の)フェザー級でやらせる」と断言しています。
この敗戦で引退せず、フェザー級へと転向した原田選手は翌69(昭和44)年7月、オーストラリアで世界フェザー級王者のジョニー・ファメション選手(オーストラリア)に挑戦しましたが、3度のダウンを奪い有利に試合を進めつつも地元びいきの判定もあり、まさかの判定負け...。王座奪取と夢の3階級制覇を逃します。今度は70年1月に東京でファメション選手に再挑戦しましたが、今度は14RにKO負け。この試合を最後に現役を引退しました。
参照 : 昭和43年2月28日付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
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