#NHK#サトウ・ハチロー#ラジオ劇#今日は何の日?#大山デブ子#大岡怪童#大都映画#昭和11年(1936年)の出来事#河合映画#立体漫談
【今日は何の日?】3月7日=戦前映画界の太っちょ男女コンビがラジオで"立体漫談"披露(1936年) / 雑学ネタ帳
《画像はイメージです》
87年前の1936(昭和11)年。戦前の映画界でコンビを組み、かなり太目の風貌から大人気となっていた大岡怪童(おおおか・かいどう)さんと大山デブ子(おおやま・でぶこ)さんが、ラジオ番組で「立体漫談」を披露しました。
番組はこの日の夜7時40分から東京第1(※当時の放送局はまだNHKのみ)で放送された「立体漫談 夜から朝まで」。現代の「漫才」のひな型となっている横山エンタツさんと花菱アチャコさんによる『早慶戦』が話題になったのは33(昭和8)年のこと。おそらく怪童&デブ子コンビが披露した立体漫談とは、現代の漫才というよりは、掛け合い劇のようなモノだったと想像できます。
夫婦ゲンカから仲直りするまでの泣き笑いストーリーとなっており、脚本はのちに詩人、作詞家としておなじみとなるサトウ・ハチローさんが担当しています。
マキノプロから河合映画、大都映画へと移籍してきた怪童さんは身長160センチ、体重105kgの巨漢。一方のデブ子さんは松竹下加茂から松竹蒲田へと移籍後、インパクト抜群な「蒲田デブ子」と芸名を改め、河合映画移籍後に「大山デブ子」と改名。サイズの詳細こそ不明ですが、当時としてはかなりのふくよかボディです。
栄養事情の問題もあり、「太っていること」への感覚が現在とは少し異なっていた昭和初期、大都映画にて2人がコンビ出演した喜劇映画の数々は大人気となり、とくに太ったデブ子さんが男性をちぎっては投げたりするシーンは拍手喝采だったそうです。
大都映画は現在の都営三田線の西巣鴨駅(東京都豊島区西巣鴨)付近に撮影所を構え、他社よりも安価で観られる娯楽映画を大量生産していました。怪童さんとデブ子さんは喜劇部門の看板スターだったのです。そんな大都映画は42(昭和17)年に、戦時統合により新興キネマと日活(製作部門)との3社が合併し、大日本映画(大映)となり、その名は歴史から姿を消します。
怪童さんは戦後の51(昭和26)年1月に49歳の若さで急死。デブ子さんは39(昭和14)年に脚本家・伊勢野重任さんと結婚し、2年後には大都映画を退社。夫の郷里である愛媛県松山市へと帰り、81年7月に66歳で死去しています。
参照 : 昭和11年3月7日付の東京朝日新聞朝刊
文 / 高木圭介
SNSシェア
介護のみらいラボ編集部コメント
高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。