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【今日は何の日?】3月17日=週刊少年マガジンと週刊少年サンデーが同日に創刊(1959年) / 雑学ネタ帳
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64年前の1959(昭和34)年。現在も人気の週刊少年マガジン(講談社)と、週刊少年サンデー(小学館)が創刊。漫画作品を軸とした雑誌に月刊から週刊誌時代が到来したことで、子どもたちの娯楽を求めるサイクルが確実にスピードアップしました。
マガジンの表紙は大相撲の大関・朝潮(のちに第46代横綱)、サンデーの表紙はプロ野球、読売巨人軍の前年ルーキー・長嶋茂雄選手と、それぞれ子どもたちに大人気のスポーツ選手が飾りました。マガジンが「3大ふろく付き」を謳い40円の価格を設定(※5号から30円に)すれば、サンデーは30円でした。
両誌はそれぞれに特色を打ち出し、人気と売り上げを競争し続け、現在へと至っています。「日本ではじめての少年週刊誌」をうたい文句としたマガジンは、必ずしも「漫画雑誌」というわけではなく、グラフ、スポーツ、科学、小説・まんがを四本柱として、漫画の比率は4割程度というものでした。
この日の朝刊各紙に掲載された広告には、ノーベル物理学賞の湯川秀樹博士からの「創刊おめでとう」メッセージを大々的に載せせれ、「教育界権威の助言を得て、週刊少年マガジンが、カラー・テレビのたのしさと月ロケットのはやさでお届けする」のコピーとともに、編集賛助員として8名もの教育関係者の顔写真と肩書きを広告にズラリと並べるなど、保護者にも信頼を得られるよう教育誌としての側面をアピール。
一方のサンデーは「学習雑誌の小学館が全機能を動員して全日本の少年少女におくる」「これが日本中の少年少女が待っていた雑誌」などのコピーとともに、すでに確保した手塚治虫さん(スリル博士)、藤子不二雄さん(海の王子)、益子かつみさん(南蛮小天狗)ら人気漫画家を前面に押し出し、別冊付録としてプロ野球オールスター集をつけ、さらに「週間テレビガイド」を掲載するなど、現在でいうメディアミクスで娯楽性をアピールしていました。
マガジン陣営は人気漫画家をサンデー陣営に奪われてしまったことにより、その後、原作者と漫画家の分業制などが進化していくことになったそうです。
両誌による60年以上にわたる工夫や人気の競争が、今や日本が世界へと誇る文化へと成長した「MANGA」の進化、発展に大きな影響を与えたといえるでしょう。
参照 : 昭和34年3月17日付の朝刊各紙に掲載された両誌の新聞広告
文 / 高木圭介
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