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【今日は何の日?】3月27日=作新学院(栃木)の江川卓投手が甲子園デビュー(1973年) / 雑学ネタ帳

《画像はイメージです》
ちょうど半世紀前の1973(昭和48)年。阪神甲子園球場(兵庫県)にて開幕した「第45回選抜高等学校野球大会」(通称・センバツ or 春の甲子園)初日で、栃木・作新学院高校の江川卓投手(当時17歳)が甲子園デビューしました。
すでに「栃木に怪物がいる」「関東に超高校級投手あり」などと評判となっていた江川投手でしたが、全国区の甲子園大会にはまだ縁がなく、「未知の強豪」として噂が噂を呼ぶばかり。このセンバツ大会は江川投手を擁する作新学院の出場が決まった時点から「ついに江川のピッチングが見られる!」と期待度もマックスに。この日の開会式~1回戦は5万5,000人もの大観衆が甲子園に集まる江川フィーバーぶりでした。
当時の奥野誠亮文部大臣による始球式後の午前10時21分、1回戦となる作新学院vs北陽高校(大阪代表)がプレイボール。立ち上がりこそボール多めの江川投手でしたが、前評判通りの伸びのある剛速球で強打で知られる北陽打線を抑えます。
結局、計4安打を浴びたのみで、通算19もの三振を奪う力投で完封。2対0で作新学院が勝利しました。以降も2回戦(vs小倉南=8対0)、準々決勝(vs今治西=3対0)と作新学院は勝ち進み、準決勝(vs広島商=1対2)で敗れるまで、大会通算奪三振は60を記録しました。
大会は広島商を下した横浜高校(神奈川代表)が優勝しましたが、終わってみれば「江川のための大会」として現在も語り継がれています。この甲子園デビュー以降は、プロのスカウト陣も江川獲得に向けて躍起となり、さらに激しい競争が繰り広げられることとなります。
センバツにおける、もう一つの名物といえば、その年のヒット曲が使用される入場行進。この年は天地真理さんの『虹をわたって』(森田公一作曲)が使用されました。この曲に合わせて球児たちが行進する中、江川投手の作新学院が入場すると同時に、甲子園が凄まじい大歓声に包まれたことを思い出す人も多いでしょう。
参照 : 昭和48年3月27日付の読売新聞夕刊
文 / 高木圭介
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