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ニュース 今日は何の日?雑学 2023/04/01

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【今日は何の日?】4月1日=日本テレビで『ドラえもん』が放送スタート(1973年) / 雑学ネタ帳

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 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

ちょうど半世紀前の1973(昭和48)年。日本テレビにて藤子不二雄さん原作『ドラえもん』のアニメが放送スタートしました。今ではすっかり、79(昭和54)年から放送が続くテレビ朝日版のイメージで固定されていますが、最初のアニメ化は日本テレビだったのです。
 
放送は日曜夜7時から。1回目の放送は「出た!!ドラえもんの巻」と「ペコペコバッタ騒動の巻」の2本でした。現在のドラえもんと比べると、下町色とドタバタ要素が強い作品でした。ドラえもんの声はダミ声でおなじみの富田耕生さんが担当。思い浮かばない方は風邪薬の改源CMの風神さんや『あっぱれさんま大先生』のナレーションを思い浮かべると良いでしょう。また、のび太役が太田淑子さん、ジャイアン役が肝付兼太さん、のび太のママ役が小原乃梨子さんと、6年後のテレ朝版で、それぞれセワシ君、スネ夫、のび太を演じている声優さんのため、現在からすると、やや混乱しがちなのですが、こちらこそが元祖なのです。

ドラえもんの声は7月から野沢雅子さんに交代。6月からは同じく未来からやって来たアヒル型ロボット・ガチャ子が登場したり、ジャイアンの家が父子家庭で雑貨屋を営んでいたりと、現在のドラえもんワールドとはかなり違いがあったりもします。

9月30日放送の最終回では、のび太の成長と自立心を促すためにドラえもんは未来の世界へと帰ります。何度も転びつつ、ドラえもんを頼ることなく自力で自転車に乗れるようになったのび太の姿を、未来の世界へと帰ったドラえもんとセワシ君がタイムテレビで視聴しつつ応援しているという感動的なフィナーレでした。

そんな初代ドラえもんでしたが、裏番組に子どもたちに大人気だったアニメ『マジンガーZ』(フジテレビ)や、特撮ヒーロー物『アイアンキング』(TBS)が放送されていたこともあり、視聴率的には大苦戦しました。

放送終了後、午前中などに再放送されたこともありましたが、ドラえもん人気が徐々に高まってくるのは昭和50年代に入ってからのこと。その後、制作会社(日本テレビ動画)の解散や、テレ朝版がスタートしたことで、現在、この初代ドラえもんは視聴困難な作品となっています。

ところが、意外なところに初代ドラえもんの姿が映り込んでいます。それはなんと山本晋也カントクによるポルノ映画『ドキュメントポルノ 続 痴漢』(73年)です。アパートの新聞受けから、医師がのぞきをしている場面にて、お風呂上りの全裸女性がテレビを眺めつつタオルで身体を拭いていると、テレビ画面には日テレ版のドラえもんが! やがて女性が無造作にチャンネルをガチャガチャと回すと、画面は裏番組のマジンガーZへと切り替えられてしまいます...。

ドラえもんの視聴率不振が象徴されているかのような光景が、ポルノ映画に残されているというのも面白い話ですね。 

 参照 : 昭和48年4月1日付の朝日新聞朝刊

    文 / 高木圭介

 

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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