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【今日は何の日?】4月2日=日暮里で都内戦後2番目の大火が発生(1963年) / 雑学ネタ帳

《画像はイメージです》
ちょうど60年前の1963(昭和38)年。春の突風により強風注意報と火災警報が出される中、東京・日暮里(荒川区)の工場、商店、住宅が密集する地帯が、都内において戦後2番目となる大火に見舞われ、総計33棟、5,940平方メートルが焼かれ、91世帯267人が焼け出されました。
午後2時25分頃、火の手が上がったのは現地のベッド製造会社の作業場でした。警視庁荒川署で出火原因を調べたところ、同工場の工員がたばこを吸うためにつけたマッチを消火しないまま、誤って作業場の片隅に置かれていたストロンPIノリ(引火性のあるゴムノリ)が入った缶に投げ込んでしまったことで炎上し、そばに積まれていたベッド用スポンジに燃え移ったことが原因でした。
強風にのった火の粉は一気に周辺一帯に飛び移り、あっという間に3か所から火の手があがりました。現場は国鉄(現・JR東日本)常磐線の三河島駅から東南約1キロ。日暮里第三小学校や東京朝鮮第一初中級学校、東電日暮里寮など建造物に囲まれ、長屋の間に工場や倉庫、商店が入り乱れている地域でした。
縦横に走る道は、いずれも幅4~5メートルで消火活動がしづらく、強風だけでなくゴムや布、ビニール製品などを扱う会社や倉庫が多かったことも消火が遅れた原因と見られています。
夜10時近くまで燃え続けた大火事で、7人が火傷や切り傷などで病院に収容。煙に巻かれた人や、かすり傷で手当てを受けた人は110人に達しました。しかし、火事の発生が昼間だったこともあり、多くの人が無事に避難。不幸中の幸いで火災規模のわりに死者はゼロで済んだのでした。
3月31日には戦後史に刻まれる「吉展ちゃん誘拐殺人事件」が台東区入谷町の公園で発生しています。小原保被疑者が被害者宅に初の脅迫電話があった4月2日には福島県内にいたことを主張。警察もこのアリバイを崩せずに捜査は難航していましたが、その後、小原が「日暮里大火を山手線か何かの電車から見た」と供述したことで一気にアリバイが崩れ、逮捕へとつながったという逸話が残されています。
参照 : 昭和38年4月2日付の読売新聞夕刊、4月3月付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
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介護のみらいラボ編集部コメント
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