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ニュース 今日は何の日?雑学 2023/04/08

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【今日は何の日?】4月8日=20世紀最大の巨匠・ピカソが死去(1973年) / 雑学ネタ帳

ピカソのデッサン画.jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

ちょうど半世紀前の1973(昭和48)年。20世紀美術界最大の巨匠と謳われる画家のパブロ・ルイス・ピカソさんが南フランスのムージャンにある自邸「ノートルダム・ド・ヴィ」にて死去。死因は肺水腫。91歳でした。

1881年にスペイン・マラガに生まれたピカソさんでしたが、スペインのフランコ独裁に激しく抗議し、1930年半ば以降、ついに故郷へは戻らず、フランスで生涯を終えることとなりました。その天才ぶりと多作ぶりは絵画のみに留まらず、彫刻陶芸版画とあらゆる領域で芸術活動に励み、世界中に大きな影響を与えました。

今となっては「歴史上の偉人」というイメージを抱かれがちですが、わずか半世紀前まで普通に生存していた人です。来日経験こそありませんでしたが、ピカソさんと実際に交流していた日本人も数多く存在しました。

1930(昭和5)年より、フランス・パリに留学し、現地で10年間を過ごした岡本太郎さんも、ピカソさんとの交流で多大な影響を受けることになります。

ピカソさんの訃報に際し岡本太郎さんは「ピカソには何度も会った。20歳のとき、パリの画廊で彼の静物画を見て非常に感動を受けたことが今でも印象に残っている。終戦後も南フランスのヴァロリスの釜場で会ったが、いつ会っても朗らかで楽しい思いをした。恵まれた環境で、その才能をいかんなく伸ばすことができたピカソは恵まれていた。彼の死はいわば大往生で"悼む"という気持ちよりは、むしろ"万歳"といってあげたいぐらいだ」とコメントしています。

ところで、よく知られる「パプロ・ピカソ」という名前は、最初と末尾のみの短縮形。その本名はさまざまな聖人や親族の名が含まれる「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ」なる非常に長いモノ。その作品だけでなく、日本の落語でおなじみの「寿限無」と同じく、長い本名を持つ有名人としてもよく語られています。
 
 参照 : 昭和48年4月9日付の毎日新聞朝刊

   文 / 高木圭介

 

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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