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【今日は何の日?】4月20日=巨人軍初のメジャーリーガー・ジョンソン選手が来日(1975年) / 雑学ネタ帳

《画像はイメージです》
48年前の1975(昭和50)年。読売ジャイアンツ初の米メジャーリーグ出身となるデーブ・ジョンソン選手が夜8時23分、羽田空港着の日航機で来日。出迎えた長嶋茂雄監督と笑顔で握手を交わしました。
長嶋監督は就任1年目。前シーズンまで巨人軍はON砲(王貞治選手と長嶋選手)こそが攻撃の要でしたが、発進したばかりの長嶋巨人にとって最大の泣き所は「長嶋選手がいないこと」でもありました。
そこで長嶋新監督は、前年までアトランタ・ブレーブスで活躍し、43本ものホームランを記録していたジョンソン選手の獲得を決意。獲得交渉にも成功し、ジョンソン選手は巨人軍初のメジャー出身選手となりました。
長嶋監督が「3番でも4番でも打てる打者なので、その時の状態を見て、王の前に置くか、あとにするか決めたい」と期待を寄せれば、ジョンソン選手も「打率3割、ホームラン15本以上は打ちたい」と決意を語りました。
まだ日米の情報共有が薄かったこの時代。ジョンソン選手の実績や凄さを知っていたのは同じく米国からやってきた外国人監督や選手のほうでした。
広島カープのジョー・ルーツ監督は「パワーのある選手だ。これで巨人も手ごわくなる」と警戒を強めれば、大洋ホエールズのクリート・ボイヤー選手は「本職外だがサード(守備)も無難にこなすと思う。ホームランは25本ぐらいは打つだろう」と守備と打撃の両面で絶賛。
またボルチモア・オリオールズ時代に5年間、一緒にプレーした経験を持つ太平洋クラブ・ライオンズのドン・ビュフォード選手は「彼は非常にスマートで、しかも賢い選手だ。だから日本の野球もすぐに吸収するだろう」と、その活躍を予告しました。
日本のプロ野球で思うように実力を発揮できたとは言えなかったジョンソン選手は77(昭和52)年1月に巨人を退団して米国に帰国。その後、フィリーズ、カブスなどで活躍後の78年に現役引退。その後はメッツ、レッズ、オリオールズ、ドジャース、ナショナルズなどメジャー5球団で監督を務め、名将としても球史に名を残しています。
参照 : 昭和50年4月21日付の読売新聞朝刊
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介護のみらいラボ編集部コメント
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