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【今日は何の日?】5月11日=玉電こと東急玉川線が廃止(1969年) / 雑学ネタ帳

《画像はイメージです》
54年前の1969(昭和44)年。1907(明治40)年の開通以来、62年にわたって渋谷駅と二子玉川園(現・二子玉川)駅、二子玉川園駅と砧本村駅を結び続けていた東急玉川線が、この日をもって廃止されました。
通称は玉電(たまでん)。もともとは多摩川で採取された砂利を都心部へと運搬するための鉄道として開通。世田谷区など郊外の人口が増えるに伴い、渋谷方面への足として、大山街道沿い(国道246号、玉川通り)の貴重な足として親しまれつづけた路面電車でした。
砂利運搬を目的としていた当初は「砂利電」などと呼ばれていたものの、東京オリンピック(64年)と前後して、世田谷区内の宅地開発が進み、沿線人口が急増すると、いよいよ路面電車(主に2両編成)の容量では乗客をさばききれなくなっており、さらに自動車の増加で246号の交通量も増え、元から走っていた玉電が「ジャマ電」「ノロ電」などと悪口を囁かれるようになっていました。
二子玉川園行きの最終電車は深夜0時20分に渋谷駅を出発。深夜にも関わらず、玉電との別れを惜しむ人々が300人もホーム(現在の渋谷マークシティ付近)に集結。2両が連結した電車は超満員となり、駅員さんが必死になって乗客を押し込み、電車の窓ガラスが割れてしまうほどでした。
ホームには「長い間、ご利用いただきまして、ありがとうございました」のアナウンスとともに『蛍の光』のメロディが流れ出し、万雷の拍手に包まれつつ都内最後となる郊外路面電車は姿を消したのでした。
そんな惜別のラストランから数時間後、朝からは同じ路線を代用のバスが運行して乗客を運ぶことになります。4年後の73(昭和48)年に同じく渋谷~二子玉川園を結ぶ地下鉄として「新玉川線(現・田園都市線)」の開通がアナウンスされていましたが、実際に新玉川線が開通したのは8年後の77年のことでした。なお、三軒茶屋から分岐して下高井戸を結んでいた路線は「世田谷線」として、現在も運行され続けています。
平成中期までは、駅や車庫の跡地や軌道跡、ホーム屋根の再利用などなど、玉電の名残りを示すモノはかなり残っていましたが、この数年でそのほとんどが姿を消してしまいました。渋谷駅の玉電乗り場前に直結していた名残りから、玉電廃止から半世紀が過ぎてもなお「玉川改札」という名称であり続けていたJR山手線の改札も、渋谷駅の再開発のため2020年に廃止。かつて存在した玉電の遺構はほとんど姿を消しています。
参照 : 昭和44年5月11日付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
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